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1)「アパルトヘイト絶賛論(?)」、英国メディアでの評判
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曽野綾子さんが2月11日付の産経新聞に寄稿した「労働力不足と移民」という、移民政策に関する提言エッセイ(?)のことが英国の新聞でもそれなりに取り上げられています。「大々的に」というほどのものではないけれど。むささびの目にとまった3つ記事の見出しとイントロだけ抜き出すと・・・:
Telegraph:
同紙のヨハネスブルグ特派員が書いているもので
- Japanese author provokes
furious South African response by suggesting a new apartheid
日本の作家が新たなアパルトヘイトを提言して南アフリカの怒りを掻き立てている
という見出しがあって、
- 政府のアドバイザーである曽野綾子氏によると、日本は人口減少の対策として大量の移民を受け入れるなければならないだろうが、それぞれの人種グループを隔離しておくべきであるとのことである。
Ayako Sono, a government adviser, said Japan would have to open up to mass
immigration to reverse its declining population but that racial groups
should be kept separate
というイントロになっています。この記事によると「彼女(曽野綾子氏)は自国の新しい移民政策のモデルとしてアパルトヘイトを賞賛した」(she praised
apartheid as a model for her country's own immigration policy)となっている。この記事、「ヨハネスブルグ発」となっているのに、南アの政府関係者のコメントなどが全く出ておらず、東京にいる南ア大使の言葉しか出ていないのが不思議です。
私自身、産経新聞に掲載された曽野さんのエッセイを読んでいない(どこに出ているか分からない)のですが、唯一、次の文章だけは他紙のサイトに引用されているのを読みました。
- もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
この部分は次のような文章でTelegraphのサイトに掲載されています。
- Since I learned the situation in South Africa 20 to 30 years ago, I've
come to believe whites, Asians and blacks should live separately.
これを(むささびが)日本語に直すと次のようになる。
- 20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、白人、アジア人、黒人は別々に暮らすべきだと信ずるようになった。
曽野さんの「居住区だけは・・・」というのが、英文では"should live separately"(別々に暮らすべき)となっている。曽野さんの原文と微妙に違うと思いませんか?Telegraphの記事はさらに
- 南アフリカにおいて、かつては白人のために用意されていたエリアを黒人のアフリカ人が「破壊・破滅」させたのであり、彼らを好きなところに住まわせたりしたら、日本においても同じことをするであろう、と彼女(曽野綾子氏)は主張している。
She claimed that black Africans had "ruined" areas previously
reserved for whites in South Africa, and would do the same thing in Japan
if allowed to live where they chose.
とも書いている。この部分、唯一カッコで囲まれた "ruin" という言葉、曽野さんの原文はどうなっているのでしょうか?むささびの知る限りにおいて
"ruin" という言葉は "destroy" などよりも悪質なのでは?後者は物理的な破壊ですが、ruinには「台無しにする」というような心理的な「忌々しい」というニュアンスが含まれている。「あのホテルができたおかげで、美しい景色が台無しになった」(the
hotel has ruined the scenic beauty)というように。違います?いずれにしてもこの英文を読んで怒らない黒人はいませんよね。
The Independent
デイビッド・マクニールという記者が東京発の記事として書いているのですが、笑ってしまうのが、掲載されている写真が安倍さんであるという点です。見出しは
- Japanese Prime Minister urged to embrace apartheid for foreign workers
日本の首相、外国人労働者のためにアパルトヘイトの導入を強く勧められる
となっており、書き出しは次のとおりです。
- 日本の右翼政権の教育政策アドバイザーが、世界第三の経済大国においては移民は人種に応じて隔離されるべきであると提言して怒りを呼んでいる。
An adviser on education policies to Japan’s right-wing government has sparked a furore by recommending that immigrants in the world’s third-largest economy be separated by race.
曽野さんが日本語でどのように言ったのかはわからないけれど、The Independentには、彼女の文章として次のように紹介している部分があります。
- “Black people fundamentally have a philosophy of large families,” she wrote.
“For whites and Asians, it was common sense for a couple and two children
to live in one complex. But blacks ended up having 20 to 30 family members
living in a single unit.”
“黒人たちは基本的に大家族主義であるが、白人やアジア人にとっては夫婦と二人の子供が一つの家屋で暮らすのが常識である。なのに黒人たちは一つの区画に20人~30人という家族が暮らすことになったりしていた・・・と彼女(曽野氏)は書いている。
この日本語はThe Independentの英文記事をむささびが和訳したものであり、曽野さん本人の文章ではありません。ただ英文だけ読むと、これもかなり酷い言い方だと思いませんか?黒人社会の大家族主義があたかも白人・アジア人の「一家4人」よりも劣っているかのように響きませんか?特に "ended up..." という言い方が気になる。「そのつもりではなかったのに、いつの間にか大家族になっていた」というように(むささびには)聞こえる。曽野さんは本当にそのようなニュアンスの文章を書いたのでありましょうか?
それから「夫婦と子供二人」という家族構成が白人・アジア人の "common sense" ってどういう意味?英語の"common sense"であれ、日本語の「常識」であれ、その意味するところは、まともな生活を送るために心がけておいた方がいい共通認識ということですよね。白人とアジア人(日本人も含めて)の間に、そんな「常識」(共通の価値観)なんて存在します?それと"common sense"(常識)という言葉には、わずかとはいえ「そうあるべし」という万国共通の善悪基準という意味合いがありません?「子供二人」は文化的だけど、「子沢山」は遅れている、という意味合いです。
The Times:
記事を書いたのは東京特派員のリチャード・ロイド・ペリー。この人はずいぶん日本経験の長い人ですよね。
- We need apartheid, says Japanese PM’s adviser
- 日本にはアパルトヘイトが必要だ、と日本の首相のアドバイザーが言っている
という見出しで、
- 日本の首相のアドバイザーによると、日本に住む外国人は、南ア方式のアパルトヘイトで、原住民(日本人のこと)とは別々に暮らすことを強制されるべきだとのことである。
Foreigners in Japan should be forced to live separately from the native population in a form of South African-style apartheid, an adviser to the country’s prime minister has said.
という書き出しになっている。これも相当にきつい文章ですね。
これら3つの記事に共通しているのは、曽野綾子さんが「安倍さんのアドバイザー」であることを強調している点です。この件について曽野さんは朝日新聞の取材に対して
- 私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。
とコメントしています。
▼要するに、日本はどんどん人口が減っているのだから外国人労働者(労働移民)を受け入れなければならない、しかし文化も習慣も違う人たちと共に暮らすのは難しいのだから、外国人と日本人の居住区だけは法的に別にした方がいい、それは「区別」であって「差別」ではない、と曽野さんは言っているのでありますよね。
▼でも「区別」された側がそれを「差別」と受け取らないという保障はあるのでしょうか?そんなもの、ありっこない。ということは、差別されたと受け取るような人たちには出て行ってもらうしかないってこと?そんな制度がうまく機能するはずがない。曽野さんのいわゆる「移民としての法的身分は厳重に守るような制度」なんて単なる絵空事です。
▼英国もフランスもドイツも「安価な労働力」が必要なときは中東、アフリカ、アジアからの移民を歓迎したけれど、最近ではこれを拒絶する世論の方が強くなっている。移民は「御用済み」というわけで「この国に住み続けたいのなら、この国のやり方に従え」と言い始め、どこの国でも愛国的な政党が幅を利かせ始める。移民の子孫たちはこれに反発して暴動を起こしたり、イスラム国へ馳せ参じたりするようになった。「最初から移民なんか受け入れなければよかったんだ」という理屈は通らない。移民の労働力があったからこその経済成長でもあったのだから。
▼「移民としての法的身分を厳重に守る」とかいう、できもしないことにこだわるくらいなら、労働移民の受け入れなど止めたほうがいい。その結果、日本が衰退→消滅するかもしれない?それは仕方のない運命と諦めるしかない。それが嫌なら移民を「労働力」としてではなく、「生活者」として受け入れて一緒に暮らすことです。移民が「来て良かった」と思うような社会を作る努力をすることです。「そんな主張こそ絵空事だ」というのであれば黙って日本の衰退を受け入れることです。
▼ただ、「移民と一緒に暮らすなんてとんでもない」と考えている(としか思えない)曽野綾子さんにとっては「朗報」もありますよ。日本、アメリカ、オーストラリア、カナダ、韓国に居住するミャンマー人がネットワークを作って自分たちの意識調査をしたことがある。対象は一カ国につき50人のミャンマー人。質問は「アナタはいま住んでいる国にこれからも住みたいですか?」というものだった。結果は米・豪にいるミャンマー人は全員が「はい」という答え、カナダ在住の皆さんは49人が「はい」、韓国にいる50人の場合は30人が「はい」で、20人が「いいえ」だった。
▼で、日本在住のミャンマー人で「これからも日本で暮らしたい」と答えたのは一人だけで、49人はオーストラリア、アメリカ、カナダなどに移住することが希望だった(むささびジャーナル225号)。住み続けることを希望する人が一人しかいないのだから、「区別」と「差別」の「区別」なんてややこしいこと考えなくても済むのです。ありがたいことではありませんか、ね、曽野さん!?
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2)NY Timesがあの「風刺画」を掲載しなかった理由
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最近、むささびではドイツのSpiegel誌の英文サイトに出ていたインタビュー記事を紹介することが多くなりましたよね。ゴルバチョフとかキッシンジャーなど、登場人物が面白そうなものが多いということが一番の理由ですが、もう一つの理由として読みやすいということがあります。一問一答形式で、インタビューされた人の言葉がそのまま掲載されている。英国の新聞のように記者が取捨選択して重要と考える発言を中心に書くのと違う。
というわけで、今回は1月23日付のサイトに載っていたニューヨーク・タイムズのディーン・バケット(Dean Baquet)編集長との一問一答です。例によってむささびの独断により、ごく一部のみ紹介します(ここをクリックすると全部読むことができます)。話題はパリの風刺新聞「シャルリー・エブド」(Charlie Hebdo)がテロリストに襲われたニュースに関連しています。ニューヨーク・タイムズは襲撃事件そのものは伝えたけれど、襲撃の原因となったムハンマドの風刺画は掲載しなかったのだそうですね。
SPIEGEL: (ニューヨーク・タイムズが)シャルリー・エブドからムハンマドの風刺画を掲載しないことに決めた理由は何だったのか?
You decided not to publish the Muhammad caricatures from Charlie Hebdo.
Why? |
Baquet: あれは難しい決定だった。自分の最初のジャーナリストとしての本能的な反応は、殺されたジャーナリストとの連帯を示すことだった。だからあの朝、最初は(ムハンマドの風刺画掲載を)やろうと決めていたのだ。が、自分で自分を止めてじっくり考えてみた。最終的に考えたのは、悲劇そのものは横に置いておいて風刺画そのものをじっくり見てみるということだった。部屋に座ってじっくり見てみた。そして思ったのは、あのユーモアというのは一種の "gratuitous insult"(言われなき侮辱)というようなものだった。それがダメだと言っているのではない。ただあのユーモアはニューヨーク・タイムズの標準には合わないということだ。あの出来事を伝えるのにあの風刺画を使う必要はないと思ったということだ。風刺画を(言葉で)説明することはできるけれど、あえて見せる必要はないというのが最終的な結論だった。
That was really difficult decision. My initial gut reaction as a journalist was to show solidarity with the journalists who were killed. So that morning, I made the decision to do it, but then I stopped myself and thought harder about it. And I thought in the end, it was putting aside the tragedy and just looking at the cartoons themselves. So I sat in the room and actually looked at a bunch of cartoons. That particular brand of humor is sort of a gratuitous insult and I'm not criticizing it. That particular brand of humor didn't meet the standards that we've established for the New York Times. I didn't think we had to show them for people to understand what happened. We can describe them but I don't think we have to show it in the end. |
SPIEGEL: しかしあの風刺画こそが、彼らジャーナリストたちが殺された原因だったのですよ。
But the cartoons were precisely the reason the journalists were attacked. |
Baquet: そのとおりだ。
That's right. |
SPIEGEL: だったら風刺画を掲載することでジャーナリストへの連帯を示せたのではありませんか?自由な社会においては、趣味の悪いものでも出版する権利があり、それを擁護したからと言って、あなたがその内容まで擁護したことにはならないのだし・・・。
Wouldn't it have been a message of solidarity to show them? Defending the right to be able to publish even tasteless things in a free society doesn't mean that you are embracing that content as your own. |
Baquet:自分たちの基準(スタンダード)を守り、尚かつ出版の権利を擁護する方法はあるはずだ。(ジャーナリストたちへの)連帯を示したいとは思うが、私にとってそれは第二・第三の重要項目だ。私にとって最も重要な仕事はニューヨーク・タイムズの読者に奉仕するということだ。この新聞の読者の中にはムハンマドの風刺画を見せられて侮辱されたと感じる人たちが少なからず存在するのだ。彼らは「イスラム国」のメンバーではない。ブルックリンで暮らし、イスラム教徒で、家族もいるし信心深い人たちだ。彼らがそれを見て侮辱されたと感じることだってある。そのような読者のことを忘れてしまうとすれば、それはジャーナリズム的には大きな過ちを犯すことになる。実は、あの時、私は宗教をバカにするような風刺画を他にもいくつか見てみたのだ。そして思ったのは、これは使えない(掲載できない)だろうなということだった。自分がイエス・キリストの風刺画を使う気にならないのだとすれば、他の宗教のものを使うわけがないだろう。
I think there are ways to defend the right to publish while holding onto your standards. As much as I love showing solidarity, that's my second or third most important job. My first most important job is to serve the readers of the New York Times, and a big chunk of the readers of the New York Times are people who would be offended by showing satire of the Prophet Muhammad. That reader is not a member of the Islamic State (IS). That reader is a guy who lives in Brooklyn and is Islamic and has a family and is devout and just happens to find that insulting. We would be making a really big mistake, journalistically, if we forgot those readers. One exercise I did was I went out and looked at the most insulting cartoons that were aimed at other religions, and I realized that I wouldn't run them. So if I'm not going to run the one of Jesus, why am I going to run the other one? |
SPIEGEL: ニューヨーク・タイムズの中でも最も優秀な記者のひとりであるジェームズ・ライゼンが、ある講演の中で、9・11以後のアメリカの主要メディアは落第だったと言っている。あなたもそう思うか?
One of your best reporters, James Risen, said in a speech that the mainstream "failed after 9/11." Do you agree? |
Baquet: 全くそのとおりだ。9・11以後の主要メディアはイラクにおける戦争について政府を問い詰めることを怠ったし、いわゆる「対テロ戦争」についても厳しい追及をしなかった。ロサンゼルス・タイムズについてもニューヨーク・タイムズについてもその批判は受け入れざるを得ない。
Yes, absolutely. The mainstream press was not aggressive enough after 9/11, was not aggressive enough in asking questions about a decision to go to war in Iraq, was not aggresive enough in asking the hard questions about the War on Terror. I accept that for the Los Angeles Times and the New York Times. |
ディーン・バケットは58才、昨年(2014年)5月にニューヨーク・タイムズの編集長に就任しています。その前はロサンゼルス・タイムズの編集長、ニューヨーク・タイムズのワシントン支局長などを歴任しています。またシカゴ市議会の汚職に絡んだ報道でピューリッツァー賞を受けたこともあるそうです。
▼バケット編集長は、この他にもいろいろと語っています。中でも印象的であったのは、中央情報局 (CIA) 及び国家安全保障局 (NSA) の局員だったエドワード・スノーデンが、これらの国家機関による個人について情報収集活動を告発した件。スノーデンが告発した際に使ったメディアは英国のガーディアンなどであったのですが、なぜかニューヨークタイムズではなかった。そのことに関する口惜しさを率直に語っています。 |
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3)知能指数:右翼と左翼の差!?
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3年も前の話で恐縮ですが、2012年2月8日付のDaily Mailのサイトに
という見出しの記事が掲載されています。英国人約1万5000人を追跡調査したものなのですが、Daily Mailによると、
- 知能の低い子供は偏見の多い成人になる可能性が高い
Children with low intelligence grow up to be prejudiced
知能の低い人たちは右翼的な考え方に「安全」を覚える
Right-wing views make the less intelligent feel 'safe'
とこの調査結果は伝えていると言っている。念の為に繰り返しますが、このように言っているのは学者さんたちであってDaily Mailではありません。
記事の言う「調査」はカナダのオンタリオ州にあるブロック大学(Brock University)の学者さんたちがPsychological Science(心理科学)という学術誌に発表したものなのですが、そのもとになったのが英国で行われた「全国児童発達調査」(National Child Development:NCD)および英国年齢別グループ調査(British Cohort Study:BCS)と呼ばれる調査です。前者は1958年生まれの男女8804人、後者は1970年生まれの男女7070人について、10~11才の時点における知能指数を調査・記録、同じ人びとが33才になった時点での政治的な意見を調査したものです。
ややこしい書き方で申し訳ないけれど、要するにおよそ1万5000人の英国人男女について、子供の頃の知能指数が大人になってからの考え方にどのような影響を及ぼしているのかを調べたということです。すごい調査もあるものですね。
で、33才の大人の政治的な意見の傾向を調べるために、あえて右翼的・保守的と思われるような意見を紹介、それぞれが賛成するかどうかというアンケート調査したのだそうです。例えば:
- Give law breakers stiffer sentences.
法律違反者には厳しい罰で臨め。
- Schools should teach children to obey authority.
学校は児童に、権威に従うことを教えるべきだ。
またリベラルと思われる意見についても聞いている。
- I wouldn't mind working with people from other races.
職場で違う人種の人間と一緒に働くことは構わない。
というぐあいなのですが、もう一度確認しておくと、これらのアンケートの対象は33才の英国人男女であり、1958年生まれについては1991年、1970年生まれについては2003年がアンケートの実施年です。
ブロック大学の研究陣によると、
- 子供の頃に知能指数が低い人は成長してから人種差別や反同性愛のような見方をするようになる傾向がある。
people with low childhood intelligence tend to grow up to have racist and anti-gay views.
というわけで、
- 他者についての印象を形成し、開かれた心を保つためには認識能力が必要であり、この能力が低い人間は、社会的に保守的で右翼的な思想に傾きがちである。そのような思想は現状を維持することを求めると同時に秩序感を与えてくれるものである。
Cognitive abilities are critical in forming impressions of other people and in being open minded. Individuals with lower cognitive abilities may gravitate towards more socially conservative right-wing ideologies that maintain the status quo. It provides a sense of order.
となるのだそうであります。
心理学的にいうと、いわゆる「認識能力」の低い人が保守的な考え方に偏りがちなのは、保守思想の方が心理的な安定と秩序(すなわち安心感)を与えてくれるからである・・・とのことなのですが、
- 明らかなのは、保守的な社会感覚を有している人が誰でも偏見に満ちているということではないし、偏見人間のすべてが保守的というわけでもないということだ。
Clearly, however, all socially conservative people are not prejudiced, and all prejudiced persons are not conservative.'
ということであります。
▼念のために言っておきますが、安倍さん、右翼の知能が低いなんて、むささびが言ったのではありませんからね。ち、ちがいます!Daily Mailの記事がそう言っているだけよ。アタシはただそういうハナシもあるってことを申し上げてるだけ。むささびはアンタの知能指数が低いなんて言ってません!言ってませんっつうの!
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4)「反テロ法案」の不気味
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いま英国の教育関係者の間でちょっとした話題になっているものの一つに、まもなく法令化されることになっている「反テロ・安全法案」(Counterterrorism and Security Bill 2014-15)というのがあります。イスラム国のような過激派によるテロへの対策として作られているもので、例えばテロリストもしくはその予備軍と目される英国籍者からパスポートを取り上げる、そのような人物が英国へ帰国する際に入国を拒否する、インターネットのプロバイダーに対してユーザーに関するデータ提供を求めるなどの権限が政府に与えられるというもの。
教育関係者が神経質になっているのが、その法案の中に入っている学生や教師らへの監視の強化条項です。テロリズム防止対策への協力義務の一環として、教育機関は学生らがテロリズムを助長するような過激な発想に陥ることがないようにしなければならないという趣旨の項目が含まれている。例えば大学などの職員(staff)は「過激思想に反対」(challenge extremist ideas)するような訓練を受けなければならないし、「過激思想に染まってしまいそうな人」(vulnerable to being drawn into extremism)を見つけたら、当局へ通知しなければならないという項目もある。
実はこのような義務が課せられるのは教育機関だけではなく、地方自治体、病院、刑務所などの公的な機関が広く網羅されており、大学などはあくまでもその一つに過ぎない。それにしても大学が監視機関の一つであることに違いはないというわけで、ロンドンのロイヤル・ホロウェイ大学でテロリズムの研究をしているエイキル・エイワン(Akil
N Awan)講師は1月29日付のThe Conversationというサイトに。
というエッセイを寄稿しています。「ビッグ・ブラザー」というのは、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」の中に出てくる国民に対する監視の厳しい国家のことです。監視する国家とされる過激派、どちらが本当に恐ろしいのか?という問題提起ですね。
大学に対して学園内の過激思想ともくされるものを監視・報告せよというわけで、エイワン講師によると
- 特に憤りを感じるのは、自分たちが政府から負わされた得体の知れない責任を全うしていないと思われた場合、内務大臣がこれを法律で強制することができるという内容になっていることである。
What particularly draws my ire is the suggestion that if the government perceives that we are failing to “fulfil” this dubious responsibility, the home secretary can legally force compliance.
とのこと。確かに彼のように学生とともにテロリズムを研究している人は過激思想に触れないわけにはいかない。
エイワン講師はさらに、大学というところは歴史的にも学問的にも過激思想(radical ideas)、革命的な信念(revolutionary
beliefs)、そして破壊的な考え方(subversive thoughts)などの故郷のようなところであり、多くの学生がそれらを通じて政治の世界に目覚めていくところなのだということです。
- それが成長するということなのだ。健全な政治的社会性の成長であり発展ということなのだ。キャンパスの学生は誰もがセックス、麻薬、音楽の実験をしているわけではない。思想の実験ということだってあるのだ。
But that is part of growing up, of healthy political socialisation and development. Students don’t just experiment with sex, drugs, and music at university - but ideas too.
そもそも政治的な過激思想を持つことはそれほど悪いことなのか?いわゆる「過激思想」こそが世の中を良くしていこうという欲求の表れであるとも言えるのだ・・・というわけで、エイワン講師は最近の英国の若年層有権者(18~24才)の投票率の低さをあげて、若者の政治離れは必ずしも健全なこととは言えず、学生時代の過激思想はむしろ歓迎されるべきだとして、英国で昔から言われている次の格言を紹介している。
- 若いくせに過激でない者には精神(soul)がない。年寄りなのに相変わらず過激な者には物事を理解する能力(sense)がない。
If you’re young and you’re not a radical, you’ve got no soul; whereas if
you’re old and still a radical, you’ve got no sense.
エイキル・エイワン氏は、過激思想は常に若者の政治や社会への目覚めを促進してきたというわけで「それほど怖れるようなものではないだろう」(Is it
really something to be feared?)と言っている。
▼「若者が過激思想にかぶれるのはハシカみたいなもの」とか言うしたり顔の年寄りは昔も今もいますね。むささびは、若者だからラディカルでなければならないなどとは思わないけれど、自分のアタマで考えて、自分の言葉で語ろうとすることをバカにするのは全く良くない。
▼とはいえ「イスラム国」に志願する若者がかなりの数で存在するという現状は厳しい。念の為に言っておきますが、この法案は潜在的テロリストのパスポートを取り上げようと言っているのであって、日本政府のように、シリアへ取材に行こうというジャーナリストのパスポートを取り上げるのとは訳が違う。
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5)下院選挙:英国の政治が様変わりする
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これまでにも何度か触れたことですが、今年5月7日に英国下院の総選挙が行われます。2月12日付のBBCのサイトが3人のベテラン政治評論家による選挙の予想を掲載しています。まず現在の下院における議席数の比較は次のようになっています。
前回(2010年)の選挙でいちばん勝ったのは保守党なのですが、総議席数(650)の過半数に至らなかったため、第三の政党である自民党(Lib-Dem)と連立を組むことでなんとか過半数を占めることができた。上のグラフにある「その他」の政党の議席数は次のようになっている。
「その他」には9つの政党があるけれど、半数は北アイルランドだのウェールズ、スコットランドの地域政党であり、それぞれの地域の利害を国会で主張することを仕事にしているから、保守党や労働党とはちょっと違う。残りの4政党のうち、社民労働、リスペクトは、それぞれの議員が地元で顔が売れている(悪い意味ではない)いわば名物的な政治家です。
また、この選挙では「その他」の中で特に注目すべきなのは「独立党」(UKIP)と「緑の党」(Green Party)です。緑の党は40年以上も前にできているのですが、前回(2010年)の選挙で初めて国会議員を一人出すことができた。現在のところ議席数は1ですが、自民党、労働党の古さ加減に飽き足らない支持者にとっては「リベラル」の希望の星のような存在になりかねない。
もう一つの独立党については、むささびでも何度も取り上げました。二つの議席を有しているけれど、これはいずれも2010年の選挙で保守党候補者として当選した議員が鞍替えし、補欠選挙の結果として獲得したものです。キャメロンのリベラル風保守党に飽き足らない右派層からの支持が強いだけでなく、最近では北イングランドのような伝統的には労働党の地盤であった地方でも勢いを伸ばしており、しばらくは収まりそうにない。
で、今年の選挙の行方ですが、いろいろな意味で英国政治の様変わりを象徴するような結果になるだろうというのが3人の評論家の意見が一致するところです。具体的に挙げてみましょう。
二大政党制の終焉
2010年以前の選挙は、基本的に保守・労働の二大政党のどちらかが過半数を獲得して勝利するというものであったわけですが、BBCの記事よると英国はいまや「多党制」(multi-party system)の時代に入ったのであり、二大政党制は「過去のもの」(a thing of the past)となったというわけです。
上のグラフを見ると「二大政党制は過去のもの」という主張もうなずけます。これは2010年から現在までの世論調査による政党支持率の移り変わりです。2010年と現在における、自民党の激減と「独立党」と「緑の党」の支持率の存在感の違いは圧倒的です。今年5月の選挙では独立党が保守党支持層に、緑の党が労働党支持層に食い込む可能性がある。労働党にとって頭が痛いのは、独立をめぐる国民投票で活躍したスコットランド愛国党の人気で、これまではロンドンの議会に関する限りスコットランドでは労働党が強かったのですがそれがおかしくなっている。
完全小選挙区制はもつのか?
今回の選挙は649選挙区で戦われるわけですが、英国は「完全小選挙区制」(the first-past-the-post voting system)をとっており、各選挙区で最大の票数を獲得した候補者だけが当選者となる。日本のように比例代表制を併用などしていない。単純で分かりやすいけれど、結果として成立する議会がどの程度選挙民の意思を反映したものになるのかが問題です。前回(2010年)の選挙を例にとって、保守・労働・自民の三党による獲得票数と獲得議席数をパーセンテージで表すと次のようになる。
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得票数(%) |
議席数(%) |
保守党 |
約1070万(36.1%) |
307 (47.2%) |
労働党 |
860万 (29.0%) |
258 (39.6%) |
自民党 |
683万 (23%) |
57 (8.76%) |
保守党と労働党の得票率を足すと65.1%、なのに議席数の割合は二党合わせて86.8%にもなる。割を食ったのが自民党で獲得した票数は全体の23%なのに議席は8.76%です。労働党の票数は860万で自民党は680万、その差約180万に過ぎない。なのに議席数は200も違う。得票数が全体の36.1%しかない政党が政権をになっているのもこの制度のおかげとも言える。2001年から2010年まで3回選挙が行われているのですが、政権党(労働党)が40%以上の票を獲得したことは一度もないのだそうです。
今回の選挙で、台風の目と言われる独立党が10%を超える票を獲得したのに議席数は2~3議席というのでは、相当な抗議の声が起こるであろうとBBCのベテランたちは言っています。選挙後に比例代表制の導入を主張する声がこれまで以上に強くなることは間違いない、と。
任期固定制議会(Fixed-term Parliaments)の善し悪し
任期固定制議会って何?選挙で選ばれた議員の任期を固定制にして運営される議会のことです。
2010年に保守党と連立を組んだ自民党がもともと推進していたもので、2011年に法律(Fixed-Term Parliaments Act)として決められたものなのですが、国会議員の任期を「固定」するということは、首相の権限で適当な時期に国会解散はできないという意味です。この法律のいう「任期」は5年間です。つまり2010年の選挙で出来た議会の次なる解散は「2015年5月の第一木曜日」と決められたということです。ただし議会の3分の2が解散を求めるか政権への不信任案が可決されたような場合は、5年を待たずして選挙を行う。
この制度、もちろん善し悪しが議論された。5年間、選挙の心配をしなくて済むので安定した政権運営が可能になり、長期的な視野に立った政策を遂行できる。それまでの制度だと、現政権にとって有利なタイミング(景気が上向いているとか)で選挙をしようとするので、政治が恣意的に支配されてしまうという見方もある。しかしその一方で、首相の腹一つでいつ選挙があるか分からないという「不安定」状態の方が、野党も緊張感を持って現政権を攻め立てるから、民主主義にとっては望ましいという考え方もある。どうせ5年は選挙がないと分かっていると、野党は政府を攻め立てることよりも党内抗争に明け暮れてしまうかもしれないとする向きもある。
BBCのサイト上で選挙結果を検討した3人のベテラン政治評論家によると、
- 保守党が言われている以上に健闘するであろうが、過半数を獲得するには至らず、いわゆる「少数派議会」(hung parliament)になるであろう。
the Tories will do much better than expected in next May's general election
but they still forecast another hung parliament.
とのことであります。キャメロンの個人的な人気が労働党のエド・ミリバンド党首よりもかなり高いということもあるのですが、英国の有権者には「あぶなっかしい変化よりとりあえず現状維持」(Hold on to nurse for fear of something worse)という傾向が強いとのことであります。でも保守党が単独で過半数を取れるというわけでもない。
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▼最初に載せた4枚の写真は主要政党の党首です。左から保守党・キャメロン、独立党・ファラージ、労働党・ミリバンド、自民党・クレッグというわけですが、確かにファラージ以外の3人には、いまいち「臭い」のようなものを感じない。こういうのをカリスマ性というのですかね。
▼ところで英国の総選挙は昔から木曜日に行われることになっている。昔は木曜日に町で市が開かれることになっており、近郷から人がいちばん集まり安い日であったというのが理由だそうです。ちなみに最初の下院選挙は1802年7月22日に行われているのですが、それも木曜日だった。これまでに一度だけ火曜日に選挙が行われたことがあった。1931年10月27日がそれなのですが、なぜそれが火曜日であったのかについては、下院のサイトにも説明されていません。 |
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6)どうでも英和辞書
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quirky:奇妙な・変わっている
英国の国内通信社Press Association (PA) のサイトに "quirkies"(カーキーズと読む) というコーナーがあります。いわゆる「けったいなハナシ」だけが載っている。いくつか紹介すると:
ビールを運ぶうさぎ:ニューヨークのブルックリンでガールフレンドと暮らしているベン・アーレスという男性が、自分たちの飼っているうさぎに芸を仕込むことに凝ってしまったハナシ。写真をクリックしてもらうとわかるのですが、ベンが指示をするとうさぎがビールをカートに乗せて運んでくるというのがそれであります。最初はベンの存在そのものに全く関心さえ示さなかったうさぎ(名前はウォレス)ですが、おやつにレーズン(干しぶどう)をあげたところ、これがバカウケで、こんな芸までするようになった。でも習得させるまでに半年かかったのだそうです。しかもレーズンをあげないと、ベンが何を言っても反応なしだそうです。
→こんな芸を仕込むのに半年もかける人間も人間だけど、レーズンていどの褒美でこんな面倒なことをやらされるうさぎも哀れだ(とむささびが言っている)。
スイカ着用罪? 北京の地下鉄にスイカ男が出没・・・という、これもさっぱり分からないニュース。要するに大きなスイカの中身をくり抜き、それをアタマから被って地下鉄に乗るというヘンな男がいるんだそうです(右の写真)。ネット上では有名なのですが、この人物が誰で、なぜそんなもの被って地下鉄に乗るのかが分かっていない。一緒に乗り合わせるハメに陥った乗客にしてみれば気持ち悪いというので、警察に届けたりしているらしいのですが、一向にいなくならないのだとか。ある通勤客は夜遅くの電車の中でこのスイカ野郎とはちあわせしたのですが、そのときはビールビンを持って車内をうろついていた。「怖かったな、あれは」というのがこの乗客のコメントだった。
→う~ん、参りますね、これは。スイカを被ったからってそれだけで逮捕するってわけにもいかないよね。スイカ着用罪の現行犯とか言って・・・。北京の皆さん、もうちょっとだけ我慢するっきゃないな。そのうち本人もアホらしくなって止めるだろうから。
女装と無精ひげ:最近テレビを見ていたら日本のどこかの町で、女装して女湯に入り込んだ男がばれて警察に捕まったというニュースをやっていたけれど、オーストラリアのメルボルンでは女装した男(写真をクリックすると大きくなる)がマクドナルドにやってきて、店員に向かって、自分が持っているコップの中には爆弾が入っている、カネを出さないと爆発させると脅かした。店員がカネを差し出すと、それをひったくって走り去った。その際に分捕ったおカネをいくらかフロアに落としていったというわけですが、何故か逃げる際に被っていたカツラも放り出していった。警察の調べでは爆弾らしきものは見つかっていない。男はブロンドで、ハイヒールを履き、網目模様のストッキングをしていたらしいのですが、店員は「無精ひげ(stubble)を生やしていたのでおかしいと思った」と言っている。
→強盗やるのなら、ひげぐらい剃ってからやれ、とむささびは言いたい。それと女装までしておきながら、カツラを捨てて逃げるなんて・・・マジメにやれ、マジメに!
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7)むささびの鳴き声
▼こんなこと、書いても、どうせ「ごまめの歯ぎしり」で、書くだけ惨めになるから止めようかと思ったのですが、でも書かないのも癪だし・・・というわけで「むささびの歯ぎしり」です。
▼イスラム国による日本人の人質事件が悲劇的な終わり方をしたことについて、日本政府が公式な声明のようなものを出したことってありましたか?むささびがネットを調べた限りにおいて、唯一それらしきものは、2月12日、国会の施政方針演説で安倍さんが冒頭に語った次のような言葉です。
- 事件発生以来、政府はあらゆる手段を尽くしてまいりましたが、日本人がテロの犠牲となったことは、痛恨の極みであります。<以下省略。ここをクリックすると全文を読める>
▼安倍さんが上記の演説をする2日前の2月10日、イスラム国で人質になっていた、カイラ・ミュラーというアメリカの女性(人道支援団体スタッフ)の死亡が確認され、ホワイトハウスがオバマ大統領の名前で声明を発表しています。ここをクリックすると全文を読むことができる。長さはほぼ400語という短いものなのですが、中身を読むと、ほとんど70%が死亡したミュラーさんへの賛辞、残りが彼女の家族へのお悔みと「テロリストは許さない」というメッセージめいた言葉で占められていた。ミュラーさんへの賛辞とは例えば次のような言葉です。
- Kayla dedicated her life to helping others.
カイラは他人を助けることに自分の人生を捧げた。
- Kayla represents what is best about America.
カイラはアメリカのいちばんいい部分を代表している。
▼オバマの声明にあって安倍さんの演説にないのは犠牲者本人たちについての言及です。実はこの演説のみならず悲劇が起こってからこの方、安倍さんの口から後藤さんや湯川さんがシリアにおいて何をしており、安倍さんがそれをどう評価しているのかを伺わせる言葉は全くなかったのではありませんか?安倍さんのアタマには「日本人」が殺されたことへの戸惑いや怒りはあったかもしれないけれど、この二人がやろうとしていたことへの想いは全くのゼロだった(とむささびは想像している)。
▼安倍さんではないけれど、自民党の高村正彦副総裁が、後藤さんの行動について「どんなに優しくて使命感が高かったとしても、真の勇気でなく『蛮勇』というべきものだった」と述べたと伝えられています。「蛮勇」という日本語を辞書で引くと「向こう見ずの勇ましさ」と出ている。必ずしも否定的な意味ではないけれど、高村さんはこれを「真の勇気」という言葉の対照語として使っている。高村さんによると「日本政府の3度の警告にも関わらず(イスラム国の)支配地域に入った」後藤さんの行為は勇敢というより滅茶苦茶というわけです。でしょ?
▼高村さんはまた、後藤さんがイスラム国の支配地域に入る前に「自己責任だ」と述べたことについて「個人で責任を取りえないようになることもありうる」と述べたのだそうです。つまり自分で責任も取れない無茶をやってしまった時点で、後藤さんも湯川さんも政府に余計な手間をかけたトラブルメーカーに過ぎなかった、と言っているのと同じ。このような発言をする高村さんのアタマの中についての議論は面倒だからやめにしておきます。
▼このことと関係すると思うのですが、2月11日付の朝日新聞のサイトでフリージャーナリストの土井敏邦という人がとてもいいこと(傾聴に値すること)を言っています。彼はフリージャーナリストの役割の一つは「組織ジャーナリストが入れない地域にも入って被害者たちの現状と痛みを伝えることにある」と言っています。(例えば)シリア難民の生活ぶりをすぐそばで取材して伝えるのは、
- 「あなたと同じ人間がこういう状況に置かれている。苦しんでいる。もしそれがあなただったら」と想像してもらう素材を人々(読者・視聴者)の前に差し出すためです。
と言っている。
▼土井さんによると、同じフリージャーナリストの後藤さんが危険を承知でシリアへ行ったのも同じ意識からであろう、と。なのに「テレビも新聞も日本人の生死に関する報道で埋め尽くされたことに、私は強い違和感を覚えます」というのが土井さんの意見です。土井さんによると、日本のメディアはシリア難民のことなどそっちのけで、日本人の人質の安否だけをめぐって大騒ぎをしていたというわけです。とりあえず日本人さえ無事であればいい・・・などと思っていたわけではないかもしれないけれど、結果としてそのような報道ぶりになってしまっていた。
▼このような土井さんの「フリージャーナリスト感覚」は、自民党の高村正彦副総裁によれば、トラブルメーカーの「蛮勇」ということになる。ここで右の写真をクリックしてくれません?これはトルコとシリアの国境付近で撮影されたもので、女性はシリアから逃れて来た難民です。撮影したのは、トルコ人の報道カメラマン。最近、日本のフリーのジャーナリストがシリアへ取材に行こうとしてパスポートを取り上げられましたよね。この人や土井さんがやろうとしているのは、この種の写真を世界に向けて発信すること。それをやらない限り、日本人も中国人も、この女性の苦難について知ることがないから。高村さんらによれば、そんなこと日本人がやる必要ない、どころか、面倒なことになるからやってもらっては困る、自己責任?そんなこと、どうでもいい、トラブルだけは止めてくれ、と。
▼同じシリアで亡くなっても、アメリカ人女性は大統領から「アメリカのいちばんいい部分を代表している」と言われ、日本人の場合は、政権党の幹部に「蛮勇」とけなされる。どこから来るのでしょうか、この違いは?70年以上も前のことですが、若い人たちを特攻隊員として敵の戦艦に体当たりすることを命令、それを実行した人を激賞したのですよ、この国は。敵を殺して自分も死ぬと賞賛され、難民のことを取材に行くと「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動」(2004年の読売新聞社説)とバカにされ、叩きまくられる。そんな国に移民する人などいるはずないから、安心しなさい、曽野綾子さん!
▼以上、むささびの歯ぎしりでした。ところで「ごまめの歯ぎしり」を英語ではfutile protest(無駄な抗議)というのですね。うまいこと言うなあ!
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