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360号 2016/12/11
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
むささびジャーナルを始めてから14年が過ぎようとしています。仕事の点で「現役」でなくなって、それまで付き合ってもらった人たちから忘れられたくないという、身勝手この上ない動機で始めたもので、そのことは今も同じです。2週間おきにつける日記のようなものなのですが、バックナンバーを見ると世の中の変化をしみじみ感じます。トランプだのBREXITなんて考えてもみなかった・・・。変わらないのは干柿が美味いってことだけ!?

目次

1)社会的階層と健康の因果関係
2)トランプ現象:仏米日の知識人が語ると・・・
3)「それでもグローバル化は正しい」
4)戦後英国の対欧懐疑主義
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)社会的階層と健康の因果関係


11月25日付のBBCのサイトに
という見出しの記事が出ています。

「免疫システム」というのは、体外から侵入した細菌だのウィルスのようなものから身体を守るために人間に備わっている機能のことですよね。社会的な地位が低い人ほどこの機能が低く、病にかかりやすいのだそうであります。アメリカのデューク大学の研究陣が、猿の社会における行動と健康を観察した結果分かったことなのだそうで、調べたのは猿だけれど、猿と人間のDNAには共通点が多いことから、この研究結果は人間にも当てはまる、と関係者は言っております。



で、デューク大学の先生方がどのような研究をしたのか?45匹のメス猿を連れてきて、9匹ずつの5グループに分ける。しばらく猿たちをそのままにしてお互いに慣れさせてから、それぞれのグループから一匹だけ取り出して別のグループの檻にいれる。檻を移された猿はそれぞれの新しい仲間たちにとっては「新入り」(new girl)であり、それぞれのグループの社会においては「最下級」の存在となる。

デューク大学の研究者たちの観察によると "new girl" は他の猿たちからイジメを受ける回数が多く、毛づくろい(grooming)をしてもらう回数は極端に少なかったのだそうです。しばらくしてから研究者が45匹のメス猿の健康状態を調べたところ、どのグループでも "new girl" の健康状態が最も悪かったというわけです。

 

人間が健康であるか不健康であるかを、喫煙、飲酒、偏った食事のような個人の生活習慣の問題として片づけようとする傾向がある。そのような考え方にこだわると「不健康なのはアンタが悪いからだ」という方向に傾きがちですが、猿の実験を行ったスナイダー=マッカー博士は、そのような側面があることを認めながらも「健康の問題は個人の責任の範囲を超える部分もある」として
  • 個人の意思や力を超越して健康に良くない影響をもたらすものがある・・・社会的な地位の低さもそれにあたる。
    there are these other aspects of low status that are outside of the control of individuals that have negative effects on health.
と言っている。


デューク大学の研究について、インペリアル・カレッジ(ロンドン)のグレアム・ルーク教授は「完全に人間にもあてはまる」(terrifically applicable to humans)として「社会の下層部にいる人たちは、上層部の富裕層がより富裕になるのを目にすることで、自分がより貧しくなったわけではなくても健康的でない生活に走りがちなのだ」と指摘している。
  • 政府はこのあたりのことが全く分かっていない。政府が考えるのは「(英国では)下層階級でもクルマはあるし、テレビだってある。インド人に比べればタイヘンな富裕層ではないか」ということ。そんなことが問題なのではない。問題は彼らが世の中の底辺で押し潰されていると感じているということなのだ。
    It is something governments just don't understand; they think people at the bottom have got cars, have got TVs, so compared with people in India they're enormously wealthy. But that really isn't the point, they feel they are at the bottom of the heap.
世の中、階級的なものはどこに行ってもあるし、ステイタスそのものが相対的(上を見ても下を見てもキリがない)なものではあるけれど、上下の極端な格差を減らすことはできるし、下層部の社会環境の改善に絞った改革をすることはできる・・・というわけで
  • 下層部の人びとの健康問題は、解決不可能な難しい問題かもしれないが、努力をすることで「少しはマシ」な状態を実現することは可能かもしれない。
    It's a hard problem that might never be fixed, but it might be possible to make it less worse.
と猿の実験を行ったデューク大学のスナイダー=マッカー博士は言っています。
▼むささびが、かつては当たり前に食していた「ラーメン・ライス+ぎょうざ」というメニューは不健康な(下層階級の)食習慣の見本みたいなものだったのですね。最近ではこれもやらなくなりました。もちろん上流階級に移動したわけではない。高齢化で胃袋が受け付けなくなっただけのこと。それにしても、自分が下層階級に位置すると「思う」ことで、食習慣が不健康になるというのも哀しい(けどあり得るハナシです)。「世の中、偉そうに上流階級ぶってるヤツって多いよな?だろ?気に入らねえよな?だろ?よお、あんた、なんで黙ってるんだよぉ!」とか言いながらつい深酒したりして・・・。そういう人に限って企業の会計係をやっており、仕事のミスが許されないからつい緊張をほぐすためにタバコを一日100本も吸ったりして・・・これじゃいくらなんでも救いようがないか。な?だべ?何で黙ってんだよ、このお!
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2)トランプ現象:仏米日の知識人が語ると・・・


ドナルド・トランプが大統領選で勝利したことについて、むささびが単なる偶然で目にする機会があった記事を三つ紹介します。フランス人、アメリカ人、日本人の学者とジャーナリストのもので、ひょっとすると皆さまにとってもディスカッションの好材料になるかもしれません。すでにお読みになったものもあるかもしれませんが・・・。

エマニュエル・トッド(フランス人歴史学者)

11月17日付の朝日新聞。選挙の前から「ヒラリーとトランプは互角」と見ていたとのことで、トッド氏のメッセージは記事の最初に書かれている次の言葉に凝縮されていると思います。

  • 歴史家として見るなら、起きたのは当然のことです。ここ15年間、米国人の生活水準が下がり、白人の45歳から54歳の層の死亡率が上がりました。で、白人は有権者の4分の3です。自由貿易と移民が、世界中の働き手を競争に放り込み、不平等と停滞をもたらしたと人々は理解し、その二つを問題にする候補を選んだ。有権者は理にかなったふるまいをしたのです。奇妙なのはみんなが驚いていること。本当の疑問は「上流階級やメディア、大学人にはなぜ現実が見えていなかったのか」です。
過去約30年以上にわたってアメリカではレーガン、英国ではサッチャーによる自由主義経済政策が推進されてくる中で「勝ち組」と「負け組」の間の不平等が拡大していった。そして「負け組」が沸々と怒りをつのらせていたにもかかわらず「上流階級やメディア、大学人」にはその現実が見えていなかったというわけで、トッド氏に言わせれば「何故そんなことが分からなかったのか」と言いたいということです。

トッド氏はまたヒラリー・クリントンについて、フランスの週刊紙「シャルリー・エブド」を襲ったテロのあとで、「私はシャルリー」と言っていた人たちを想起させるとして
  • 自分の社会はすばらしくて、並外れた価値観を持っていると言っていた人たちです。それは現実から完全に遊離した信仰告白にすぎないのです。
と言っている。「私はシャルリーと言っていた人たち」とは、テロ攻撃を受けたあの週刊誌に対する連帯感を表明することで、言論の自由や表現の自由を大事にする価値観を基盤とする社会の素晴らしさを叫んでいた人たちのことですよね。あの人たちは、そのような「素晴らしい社会」における差別の中で絶望的な怒りや憎しみを募らせている人間が存在するという現実に全く目を向けようとしない・・・グローバル化の中で「負け組」の悲哀を味わっているラストベルトの労働者のことなど考えもしないヒラリーも同じだ、とトッド氏は言っている(とむささびは思う)。

記事の最後の部分でトッド氏は、最近流行の「ポピュリズム」という言葉について
  • 大衆層が自分たちの声を聞かせようとして、ある候補を押し上げる。それをポピュリズムと言ってすませるわけにはいきません。人々の不安や意思の表明をポピュリズムというのはもうやめましょう。
と訴えています。

▼トランプに声援を送ることを「ポピュリズム」と呼んで蔑むのを止めようとのことですが、トッド氏自身がトランプの言動を「素晴らしい」と言っているのではなくて、白人労働者が置かれている「苦境」を考えれば、彼らをそのような境遇に追い込んだ、「自由貿易と移民」というアメリカの常識こそが責められるべきなのだと言っている(と思う)。よく分からないのはアメリカの常識に対して「ノー」と言う人びとに同情しているトッド氏自身は何に対して「イエス」と言うのかということですね。例えばメキシコ国境に壁を作ろうというトランプのアイデアに対しては肯定するのか?来年、フランスで行われる大統領選に出馬すると言われている「極右」政党は、フランスのEUからの離脱を主張して人気が急上昇している。FREXITというわけですが、トッド氏もそれに賛成であるということ?

▼トッド氏の記事を読む限り、彼がトランプに対して「イエス」と言っているとは思えない。ひたすらトランプとともにアメリカの現状に対して「ノー」と言っているだけ。むささびによると、何を「否定」するかよりも何を「肯定」するのかという部分にこそ、その人自身が出てくる。それを言わないのでは、トッド氏の言い分もいまいち説得力に欠ける。


ロナルド・アロンソン(米大学教授)

最近のBoston Review誌に掲載されたエッセイ「新しい希望の政治」から。トッド氏と同じように、トランプの勝利をグローバル化における「負け組」の怒りの表れであると見ているのですが、 アロンソン教授が注目しているのは、大統領選挙の初期段階においてヒラリー・クリントンと民主党の候補者争いで善戦したバーニー・サンダース上院議員のことです。彼のエッセイのキーワードは "social hope"(社会的希望)という言葉です。教授によると、政治というものはいろいろな意味で「平等・平和・安定・公正」な社会を実現することを目的にしているけれど、そのために「集団的に行動すること」(to act collectively)を基本的な理念として掲げます。

レーガンやサッチャーが推進した「小さな政府」とか「個人主義」に基づく脱工業化資本主義(postindustrial capitalism)社会においては、それが生んだ社会格差のような矛盾でさえも個人の「自己責任」で乗り切らなければならないとされるようになった。「負け組になったのはあんた自身の責任」ということです。そのような社会に生まれるのは悲観主義(cynicism)であり、「勝ち組」に対する怒りです。アロンソン教授はトランプとサンダースの違いについて
  • トランプが体現しているのは、「反希望」とでも言うべき現象であり、それは過去への郷愁や現状に対する悲観主義、自分に対する無力感などから来ている。それはサンダースによって点火された「寛容・オープン・社会的希望」のような精神とは無縁のものである。
    Trump embodies what might better be called anti-hope, rooted in nostalgia, cynicism, and a feeling of powerlessness. It is not the spirit of generous, inclusive, activist social hope rekindled by Sanders.
と言っています。

▼トッド氏と違って、この教授は「社会的希望」を推進しよういう、自分の立ち位置を明らかにしているように思える。トランプ当選を他人事として「解説」するという態度をとっていない。そのことは買える。アロンソン教授によると、サンダース議員は「政党を持たない社会主義者」(socialist with no political party)のような存在なのですが、トランプ現象がドナルド・トランプという教祖を中心にした「キャンペーン」(活動)であったのに対してサンダースのそれは「集団行動」(collective actions)を基盤とする「運動」(movement)であると言っています。

▼サンダース上院議員は、今後の活動についてBBCとのインタビューで「トランプ政権が実際にメキシコ人労働者を強制送還するようなら、我々はアメリカ中で街頭デモを組織してこれを阻止する」と言っています。そのあたりがヒラリー・クリントンとは違うところなのでしょう。トランプを右翼ポピュリストと呼ぶ人の中にはサンダースを「左翼ポピュリスト」であるという人がいるけれど、それは違うんでない?というのはむささびの依怙贔屓なのでしょうか?アロンソン教授のいう「集団主義」は、ソ連が崩壊してからは前代の遺物のように言われているけれど、サッチャリズムによって推進された「個人主義」という名前の「孤独主義」「孤立主義」を乗り越える考え方として、もう少し評価してもいいはずだと思う。


稲垣えみ子(元朝日新聞記者)

11月26日付の毎日新聞から。稲垣さんによると、「トランプ現象は、かつて大阪で巻き起こった橋下徹氏のブームとうり二つ」だったのだそうです。即ち「既得権者を攻撃」、「ツイッターなどを通じて有権者に直接アピール」ということで、その政策をメディアがいくら批判しても支持は落ちない・・・。

稲垣さんの記事のポイントは「一体我々とは何なのか?何のために存在しているのか?」を問うことにあります。「我々」とはマスコミのことです。彼女が大阪社会部の仕事をしていたときに、橋下徹さんの教育政策(君が代の強制とか)を批判する記事を連日のように載せたところ、読者から猛反発を食ったのだそうです。そして彼女は「とても恐ろしい」と感じたのですが、何が恐ろしかったのかについて次のように書いています。
  • それは橋下氏ではなく、読者の「感覚」からいつの間にかかけ離れてしまった我々のボンクラぶりであった。マスコミとは権力を監視し、庶民の味方をする存在のはずである。ところがいつの間にか我々は「既得権者」として橋下氏の攻撃を受け、その氏に多くの人々が喝采を送っていた。
そうなると、稲垣さんは「我々とは何なのか?何のために存在しているのか?」と自問せざるを得なくなるというわけです。彼女はまた次のようにも言っている。
  • 権力は暴走し腐敗する。それを監視する存在なくして民主主義は成立しない。庶民から浮き上がったマスコミにその役割が果たせないなら民主主義の危機である。これは我々の問題なのだ。
「庶民から浮き上がったマスコミ」の例として稲垣さんは、毎日新聞に掲載された、ヨーロッパにおける大衆迎合主義の広がりを嘆かわしいとする記事をやり玉に挙げて、
  • 大衆迎合でない民主主義などない。自分たちは大衆とは一線を画した存在だとでも言いたいのならそれこそが深刻な危機である。
と言っている。マスコミに対して妙なエリート意識は捨てろと言っているのですよね。

▼稲垣さんは、読者が新聞の言うことより政治家の言うことを聞くようになっていることについて、新聞が「庶民」から浮き上がった存在になっているのではないかと疑っている。しかし「庶民」なんてそれほどあてになる存在なのですかね。橋下徹さんが「学校で君が代を義務化するのは当然」と言うのが間違っていると思うのなら、「庶民」が何と言おうがそれを言い続けるのが新聞の責任なのでは?その意味において、マスコミは大衆とは「一線を画した」存在であるべきだとむささびは考えています。

▼ただ・・・マスコミを「既得権者」として攻撃する橋下さんに多くの人々が喝采を送るという現象については、むささびでさえも「そうかもな」という気分になってしまう。権力を監視して「民主主義を守る」のがマスコミの役割というけれど、その権力機構の中に記者クラブなんてものを作って仕事をして、あろうことかクラブの会員でないと、権力機構による記者会見にも参加させてもらえないなんて・・・そんな世界が作り出す新聞やテレビ・ラジオのニュース番組が面白いはずがないよね。自分たち自身が戦っていないのだから。

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3)「それでもグローバル化は正しい」
 

BREXITやトランプ現象が「グローバル化に取り残された労働者階級による怒りの表れ」という言い方が日本であれ、欧米であれ、メディアの間では殆ど流行語のようになっていますよね。まるでグローバル化が諸悪の根源であるかのようであります。でもモノの輸出入や人間の往来について極力国境を低くしようとする「グローバル化」はそんなに悪いものなのか?この際、グローバル化の旗振り役とも言えるthe Economistの言い分を紹介しておきます。


アメリカの大統領選の投票が行われる約1か月前10月1日付の同誌に掲載された "Anti-globalists: Why they’re wrong"(反グローバル化論が誤りである理由)という社説のイントロは次のようになっています。
  • 反グローバル化論者たちは、グローバル化が一握りのエリートたちだけに利益をもたらすものであると批判する。しかし実際には閉鎖的な世界で最も傷つくのは貧困層なのだ。
    Globalisation’s critics say it benefits only the elite. In fact, a less open world would hurt the poor most of all.
社説はまず、戦後の世界における生活水準の向上について触れ、それが自由貿易がもたらしたものである(underpinned by an explosion in world trade)ことは疑いの余地がない、と主張します。1950年当時、製品輸出は世界のGDPの8%を占めるに過ぎなかったが、2000年にはこれが20%にまで達しているではないか。製品輸出や外国からの投資が(例えば)中国における貧困を劇的に減らしたし、アイルランドや韓国の経済も自由貿易のおかげで発展をとげたことは間違いない、と。
欧米人の中には中国やインドのような国の経済がいくら発展しても、自分たちの生活がよくならないのでは意味がないと感じる人も多い。しかし自由貿易のおかげで国内的にも得をしていることは否定のしようがない。輸出関連企業と国内市場のみを相手にしている企業を比較すると、前者の方が生産性も高いし給料もいい。アメリカの輸出の半数は、自由貿易協定を結んでいる国向けのものなのだ。これらの国々のGDPは、地球全体のそれの10分の1以下であるにも拘わらずアメリカの輸出企業は彼らとの自由貿易で繁栄している部分も大いにあるというわけであります。

The Economistによると、保護主義は国内の消費者を傷つけ、労働者にとっていいことは殆ど何もない。世界の40か国で行われた調査によると、国境を超えた貿易が停止された場合、世界の最富裕層は28%の購買力を失う一方で、ボトム10%の最貧困層の購買力は63%もダウンするのだそうです。2009年にオバマ大統領が中国製のタイヤに反ダンピング税を課して国内企業の保護を行なったことがあるけれど、それによって高いタイヤを買わされたアメリカの消費者が被った損害は11億ドルであるとされている。このことによって1200の職場が救われたことになっているけれど、11億ドルを1200で割ると90万ドル。つまりアメリカの消費者は、雇用1件を確保するために90万ドルというお金を支払わされたことになる。


貿易のみならず、人間の行き来のために国境を極力オープンにしておくことの利点も忘れるべきではない、とThe Economistは指摘します。BREXITで問題になった移民問題ですが、移民の受け入れは移民たちのみならず受入国の経済にも大きな利益をもたらすと言います。英国の場合、2000年からこれまでに受け入れたヨーロッパ移民によって収められた税金の額を計算すると、国庫収入が200億ポンド増えたことになる。さらに外国企業による投資受け入れはその国における競争を刺激し、技術開発も促進する。

ではグローバル化には何も問題がないということなのか?もちろん問題はある。グローバル化によって潤う業界(勝ち組)と衰退せざるを得ないような産業(負け組)があり、これまでのところでは「負け組」に対するケアが足りなさすぎたということがあるかも知れない。1999~2011年、アメリカの製造産業で失われた職場は600万件、その5分の1が中国との競争(即ち自由貿易)の結果によるものなのだそうです。さらに英国ではEU加盟国からの移民の増加によって職を奪われる人たちがいることは事実には違いない。にも拘わらず「負け組」を救済する政策が充分であるとは言えない部分がある。例えばアメリカの場合、失業者の職業訓練などに使われる税金はGDPの0.1%、先進国平均の6分の1にすぎない。


しかし・・・The Economistの社説は、グローバル化の「置いてきぼり」をくっている人びとに対するケアが足りなかったということはあるにせよ、開放経済と閉鎖経済を比べれば、前者の方が人間の生活を豊かにすることは間違いないとして、
  • 1840年代の昔から自由貿易主義者たちは、閉鎖経済は権力者に味方し、労働者階級を痛めつけるものであると信じてきた。彼らはその当時は正しかったし、いまでも正しいのである。
    Since the 1840s, free-traders have believed that closed economies favour the powerful and hurt the labouring classes. They were right then. They are right now.
というわけで、グローバル化に「背を向ける」(to turn their backs on globalisation)のは最悪の選択だと強調しています。

▼モノの輸出入、お金や人間の行き来は自由であること(国家が介入しない)を原則とするのか、国家の介入を原則とするべきなのか・・・この社説を読む限り、自由を原則にした方がいいに決まっているように思わざるを得ない。ちょっと興味深いと思うのは、BREXITの場合、貿易上の保護主義のようなものを主張していることがないということ。移民の出入りについてはうるさいけれどモノやお金の出入りをどうこう言っているわけではない。トランプの場合は貿易上の保護主義をはっきり謳っている。でもそのような政策はアメリカの労働者たちにとって損になるのだから長続きするはずがない(とむささびは思っている)。

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4)戦後英国の対欧懐疑主義


「三つの円」の中心で 「恋人」ではなくて「お友だち」? 「超大国」の幻想に取りつかれて
「三つの円」が離れて行く・・・ 及び腰の加盟申請 加盟促進へのうねり


アンソニー・サンプソン  
今からほぼ50年前の1967年10月19日付のフランスの新聞、ル・モンドに英国のジャーナリスト、アンソニー・サンプソンが 'Great Britain commits itself to Europe' と題するエッセイを寄稿しています。「英国はヨーロッパに深く関わる国となる」という意味ですよね。英国が1973年にEEC(欧州経済共同体)に加盟する6年前に書かれた記事ですが、英国人がヨーロッパ大陸との関係に対してとる消極的な態度のルーツが見えてくるようで非常に参考になると思うので紹介します。結論から言うと、この記事は英国の世論がヨーロッパ統合を受け入れ、自分たちもそれに関わって行こうという方向に変わってきつつあることを伝えています。12年前に亡くなったサンプソンは、むささびが最も尊敬するジャーナリストで、彼が書いた『英国解剖』(Anatomy of Britain)は、英国を知るうえでのバイブルのような本だった。

 
「三つの円」の中心で

サンプソンによると、第二次大戦後、英国の指導者たちは自国の立ち位置は「お互いに接触し合っている三つの円の交差点」(centre of three intersecting circles)であると考えていた。その「三つの円」とはアメリカ、英連邦、ヨーロッパのことです(このうち「英連邦」というのは、かつての大英帝国の植民地であった国々の集合体で、インド、カナダ、マレーシア、オーストラリアなど53か国がこれに加盟している)。ウィンストン・チャーチルによると、英国はこの三つの円の中心で微妙なバランスをとることによって国際的な存在感を発揮できると考えており、その点では労働党とも意見が一致していた。サンプソン本人も含め、戦後の英国の学生たちは皆このような英国像・世界像を教えられたのだそうです。

三つの円の中でもダントツで大きかったのはアメリカです。戦後の英国の国としてのプライドは「アメリカと最も密接な同盟関係にある国」という点にあった、とサンプソンは言います。英国側のこの意識は必ずしも片思いとは言えない部分もある。戦後アメリカの反ソ連の外交政策に大きな影響を与えたのは、チャーチルが1946年にミズリー州の大学で行った「鉄のカーテン」演説と言われているけれど、あのときのチャーチルは英国では野党(保守党)のリーダーだったのですよね。英連邦との関係は、大英帝国華やかなりし時代への郷愁とともに「貧困国の発展を援助する」という理想主義にも支えられて保守・労働の両党に受けた。


「恋人」ではなくて「お友だち」?

三つの円のうち最も脆弱だったのがヨーロッパとの関係だった。その理由の一つに戦後の自己イメージの違いがある、とサンプソンは言います。ナチズムやファシズムの跋扈を許し、自らを破滅に追い込んだとも言えるヨーロッパ大陸諸国には「過去との決別」という強烈な欲求があった。「何もかも忘れて新しく出直す」(a desire to forget and start afresh)ことへの欲求です。サンプソンによると、英国にはそれが希薄だった。英国の場合、戦中・戦後において国内政治が安定していただけでなく、さまざまな古い体制(institutions)がそのまま生き残ったことで、ヨーロッパ大陸のような強い「過去との決別」願望はなかった。そしてヨーロッパ大陸諸国が強く願った「団結したヨーロッパ」(a united Europe)構想についても、英国の態度はどこか冷やかだった。そのことは1953年に提唱された欧州防衛共同体(European Defence Community)構想についてチャーチル首相(当時)が言った次の言葉に表されている。
  • We are with them but not of them.
    我々(英国)は彼ら(ヨーロッパ)とともにいるが、ヨーロッパではない。
適切な譬えかどうか自信はないけれど「英国とヨーロッパはお友だちであって恋人同士ではない」と言っているようなものです。


「超大国」の幻想に取りつかれて

サンプソンによると、第二次大戦の「戦勝国」は一応「米英ソ」ということになっているけれど、実際には米ソの二大超大国だけで勝ったようなものだった。英国はその後、米ソに次いで核保有国となることで「三大超大国の一つ」という幻想に取りつかれてしまう。さらに英国の場合、戦争に勝ったことで「古い英国」がそのまま生き残ってしまった。例えば1951年のチャーチル内閣の半数が第一次世界大戦(1914~1918)の従軍経験者で占められていたという記録もある。

1950年代の英国の若者の中には、このような「古い英国」に対して反発したり幻滅したりする者もいたけれど、彼らの行先はヨーロッパではなくアメリカだった。アメリカでは英国人はヒーローとして歓迎されたということもあるけれど、英国の若者たちにとって、戦争の廃墟から立ち直って「一つのヨーロッパ」を目指そうとするヨーロッパの若者たちの理想主義は関心の外にあるものだった。またアメリカとの間には存在した交換留学のようなスキームも英欧間には殆ど存在していなかった。1964年当時の調査においてさえもフランスへ行ったことがある英国の若者はわずか6%、西ドイツへ行ったことがある者は3%しかいなかったし、同じ調査で英国を訪問したことがあるフランスの若者は1%しかいないという有様だった。

ただ、ヨーロッパから距離を置こうとする英国人の心理には、当時にしてみれば「それなりの理由がある」(well-founded)とサンプソンは語ります。即ち当時のヨーロッパが羨んだ、英国における「政治的安定と連続性」(political stability and continuity)という特質が、混乱するヨーロッパに近寄り過ぎることで台無しになってしまうことへの怖れです。


「三つの円」が離れて行く・・・

しかし時代は、「三つの円の中心」という世界像を描いていた英国の政治エリートたちの想いを無視するかのように動いていきます。まず1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言します。1920年代からエジプトを間接支配していた英国はこれに反対してフランス、イスラエルと一緒になってエジプトに軍事進攻するのですが、同盟国だと信じていたアメリカがこれに反対、結局英国はエジプトからの撤退を余儀なくされる。

さらにスエズ危機の7年後に起こった「キューバ危機」は、世界が米ソという二大超大国によって命運を握られていることを明確に示した。英国は「お呼びでない存在」であったということです。三つの円の一つであったはずの英連邦も1961年に南アが抜け、オーストラリアは対米接近の度合いを強めるなどしていた。要するに三つの円のうちの二つが英国との距離を取り始めていたということです。


ケネディ大統領とマクミラン首相

及び腰の加盟申請

ただ英国が独力で(つまり国際的な孤立状態のまま)発展していくことが不可能であることは誰の眼にも明らかなことだった。英国の産業界にとって、すでに(1957年)誕生していた欧州経済共同体(EEC)が持つ「共同市場」(Common Market)へのアクセスは魅力であり、当時のマクミラン政権がこれに加盟しようとしたことは当たり前だった。そして1961年、EECへの加盟申請に踏み切るのですが、マクミラン自身がサンプソンに語ったのは
  • ヨーロッパとの関係は強化するが、かと言って他との関係を弱めるというつもりはない。
    Strengthening our ties with Europe does not mean weakening the others.
ということだった。ここで言う「他との関係」が、最初に紹介した「三つの円」のうちのアメリカおよび英連邦諸国との関係を意味していたことは言うまでもありません。が、英国のEEC加盟申請は1961年、1963年の2回にわたってフランスのドゴ-ル大統領によって拒否される。その理由は、英国がアメリカの欧州支配のお先棒担ぎをしているということだった。


加盟促進へのうねり

2回も加盟申請を却下されたのだから、英国の政治指導者たちの間では(保守党・労働党を問わず)反ヨーロッパ的な雰囲気が盛り上がるわけですが、サンプソンによるならば、英国人の間におけるヨーロッパに対する態度には表面には表れない深い部分(deep down)で二つの大きな変化が起こっていた。

一つはEECへの加盟申請とそれに伴う交渉事を通じて「島国として孤立政策を続けることは不可能な時代にきている」(the island could no longer remain isolated)ということを英国人が認識したこと。ヨーロッパ諸国にとっては分かり切ったことであったけれど、そのような認識を持つのは英国人にとっては戦後初めてのことだった。

二つ目の変化は、加盟交渉を続ける中で、実は英国にも「親ヨーロッパ」の知識人が結構存在することが分かり、彼らの知識や経験を動員することができたこと。若手外交官や大蔵省官僚、産業人やジャーナリストですが、彼らはドゴールによる拒否にも拘わらず、英国は将来は必ずヨーロッパの一員となることを確信していた。ただ・・・
  • 一つだけ問題があった。それはどうすれば労働党の態度を変えることができるのかということだった。
    One problem then arose: how could the Labour Party be converted?
サンプソンの記事はここで終わっています。この記事が書かれてから6年後の1973年、英国のEEC加盟が実現します。

▼要するに英国がEECに加盟したのは、あくまでもEECが提供する「共通市場」へのアクセスが欲しかっただけで、ヨーロッパ人たちがEECの先に見据えていた「一つのヨーロッパ」にはまるで関心がなかった。サンプソンによると、ヨーロッパの一部になることは英国人のプライドが許さなかった。ひょっとすると、英国人の心理は40年以上経っても大して変わっていないのかもしれない。

▼実はむささびにとって最も気になるのが、最後に書かれている「どうすれば労働党の態度を変えることができるのか」という個所であるわけです。1960年代の労働党はEECへの加盟には反対の立場をとっており、ゲイツケル党首などは「EECへの加盟は、独立国家としての英国1000年の歴史の終わりを意味する」とまで言っている。労働党は1975年に行われたEECへの加盟継続をめぐる国民投票でも反対を表明している。そして今年の国民投票では党の方針としては「EU残留」であったけれど、コービン党首がいまいち残留キャンペーンに熱心でなかったと批判されている。でも党員は圧倒的多数で「残留」を支持している。コービンは党内左派で1975年には残留継続に反対票を投じている。

▼反資本主義・反帝国主義を理念とする労働党という政党が、何故「一つのヨーロッパ」の動きに冷淡であるのか、どうもよく分からない。実は1981年になって労働党内の親ヨーロッパ派の人たちが独立して社会民主党(SDP)というの作り、アンソニー・サンプソンも同調するのですが、そのSDPも約5年続いただけで内部分裂してしまう。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

populism:ポピュリズム・大衆迎合

ネット辞書によると"populism"は、辞書によって言い回しは異なるけれど、大体において
  • political ideas and activities that are intended to get the support of ordinary people by giving them what they want.
    普通の人たちが望むものを提供することで、彼らの支持を得ようとする政治思想や政治活動のこと。
などと説明されている。むささびが調べた範囲では、どの辞書にも必ず出ているのが"ordinary people"という言葉です。「庶民」「大衆」ですね。「庶民的」「大衆的」という言葉が「安もの」というニュアンスで使われることはあるけれど、常にネガティブな意味で使われるわけではない。しかし "populism" がいい意味で使われることはない。今年の2月23日付の日本語のHuffington Postに畑恵さんという人が「ポピュリズムの嵐の中、民主主義をどう守るか」というエッセイを寄稿しているのですが、彼女の定義によると
  • ポピュリズムとは、一般大衆の利益や権利、あるいは不安や恐怖を利用して大衆の支持を獲得し、既得権益層(エスタブリッシュメント)やエリートで構成される体制や知識人などからイニシアティブを奪還しようとする政治手法や政治的運動を意味します。
となっている。畑さんはポピュリズムの具体例としてアメリカのドナルド・トランプ以外に英国独立党(UKIP)、フランスの極右組織「国民戦線」などを挙げており、ポピュリズムと民主主義の関係について、前者が後者を危機に陥らせるのではなく、「民主主義が機能不全を起こし危機に陥っているからこそ、ポピュリズムが台頭し席巻してしまう」と言っています。つまり
  • 民意に応えられていない現行の民主政治を改革しない限り、ポピュリズムの跋扈が収まることはないでしょう。
ということです。この発想は、このむささびジャーナルの2つ目の記事に出ているエマニュエル・ドットの「人々の不安や意思の表明をポピュリズムというのはもうやめましょう」というのと似ていませんか?「ポピュリスト」を支持する「庶民」を批判するのではなく、彼らをそのような行動に走らせる社会の機能不全を何とかしろということです。

畑さんやトッド氏の言っていることは、理屈では合っていると思うけれど、ポピュリズムの跋扈を他人事として語っているように思えてならないのですよ、むささびは。トランプ支持者の一人がイスラム教を排斥するような発言をした場合、その人物が「民主主義が機能不全を起こしている社会」で暮らしているとしても、トランプのような主張に力を与えた責任はある。「社会が悪い」のではないということです・・・というのは「庶民嫌い」のむささびの思い込みなのかも?

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6) むささびの鳴き声
▼安倍首相が12月末に真珠湾を訪問、オバマ大統領と一緒に75年前に日本軍による奇襲攻撃で犠牲になった人びとを慰霊するのですよね。安倍さんの言葉によると「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」というメッセージをオバマさんと二人で発信することで「未来に向けた決意を示したい」とのこと。12月5日の夜のニュースをラジオで聴きながら、むささびは「シンゾー、あんたも捨てたもんじゃないんだね」と安倍さんを見直す気になる一方で、「二度と戦争をしてはならない」と思っている人間が、自分の国の「反戦憲法」を「アメリカに押し付けられた」というだけで反古にしようなどと考えるはずがない・・・と思い直したってわけ。

▼安倍さんがテレビ・カメラの前で「二度と戦争の惨禍を・・・」と真顔で語った同じ日の東京新聞の朝刊に「トランプ・安倍氏会談に異議 日本へ米政府」という記事が掲載された。11月17日に安倍さんがトランプと会談しましたよね。東京新聞の記事によると、あの会談についてアメリカ政府が事前に「トランプ氏はまだ大統領ではない。前例のないことはしないでほしい」という「強い異議」を日本政府に伝えていたのですね。「首相の外交姿勢に対するオバマ米政権の不快感が明らかになった形だ」と記者は書いている。結局「個人的な非公式会談」という形になった。それを「主要国のリーダーとしては安倍さんが一番にトランプと会った」と言ってメディアは囃し立てたわけです。

▼東京新聞によると、日米両政府は、11月19、20の両日にペルーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の場を利用して、最後の安倍・オバマ首脳会談を実施する方向で調整していた。なのにシンゾーが(あろうことか)APECの前に「次期大統領」と会って「信頼するに足る人物」とかいうコメントを発表したりしている。だからAPECでオバマさんはシンゾーとの「会談」を立ち話程度で終わらせてしまった・・・と、東京新聞の記事はここで終わっている。然るに、12月6日付の毎日新聞によると、APECの場におけるオバマさんとの「立ち話」でシンゾーが「ここでは時間がないからゆっくり話せない。この4年間を総括できる場を作ろう」と言って真珠湾訪問の意向を示したとのことであります。

▼で、日本政府は「トランプ大統領」と安倍さんの首脳会談を、大統領就任式のすぐ後(1月27日?)に行うことで調整中であるとラジオのニュースが言っていた。むささびがこれを聴いたのは12月7日の朝、安倍さんの真珠湾訪問が発表されてから30時間ほど(?)後のことです。つまりシンゾーは(日米関係について)11月半ばから1月下旬にかけてトランプ(ニューヨーク)→オバマ(リマ)→オバマ(真珠湾)→トランプ(ワシントン)という動きをするわけですが、その中で真珠湾における「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」というメッセージ発信がどの程度の重要度を占めているのか?殆どゼロに近いと思いません?

▼真珠湾に行くシンゾーの狙いはただ一つ、「真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する最初の日本の首相」である自分をテレビを通じてアメリカ人(特にトランプ支持者)に見てもらうこと。そしてアメリカ人に「シンゾ-・アベは立派な政治家だ」と思ってもらい、そのことを日本人に見てもらうこと。さらにアメリカがいずれはTPPのような機構に戻ってくるときのパートナーという存在感を発揮できるようにもなるではないか、と。トランプ流の素朴な保護主義は、遅かれ早かれギブアップするに決まっておるとシンゾー確信している(その点はむささびも同じであるわけです)。

▼ちなみに最近のThe Economistは、この真珠湾訪問が12月15日に山口県で行われる日露首脳会談に関係があると言っています。プーチンとの北方領土返還交渉がうまくいかず、安倍さんの人気が落ちる、これを挽回しないと1月に衆議院を解散しても国民の人気が得られない、となると念願の憲法「改正」に弾みがつかない、そこでシンゾーが思いついたのが「アメリカ人に評価される日本の首相」というイメージであった・・・ということです。

▼というような中で、真珠湾における「平和の誓い」なんて、とてもマジメには受け取れない。もしシンゾーが真珠湾において日本国憲法第9条をそのまま声に出して読み上げ、「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という部分がISISにも当てはまるとでも宣言するのであれば、信用してもいいかな?と思ったりしているわけです。ちなみに安倍さんによる真珠湾訪問の発表は英国メディアではほとんど報じられませんでした。むささびがチェックしただけでは、BBCが、さしたる重要度ではない部分で伝えていただけだった。見落としかな?

▼だらだらとだべりを続けてしまい申し訳ない。お元気で!
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むささびへの伝言