musasabi journal

243号 2012/6/17
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
6月もそろそろ下旬、埼玉県は雨模様の天気が続いています。日本時間の今朝9時半ごろのBBCのサイトによると、ギリシャの選挙に関連して、ドイツのメルケル首相がギリシャ国民に向けて「緊縮政策を尊重」(respect austerity)する候補者を選ぶように呼びかけています。

目次

1)ペシミズムへ向かう日本人
2)アウシュビッツは「ポーランドの収容所」ではない!
3)英国独立党の不気味
4)政治とメディア:ジョン・メージャーが証言するマードックの行状
5)サンデル教授の「金で買えないもの」
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)ペシミズムへ向かう日本人

前回、ヨーロッパの現状についてアメリカのPew Researchという機関が行った意識調査の結果を紹介しましたが、同じ機関が日本の現状について日本人の意識調査を行った結果が発表されています。この調査は今年の3月20日から4月12日にかけて700人の日本人を対象に電話(固定電話)を使って行われたものです。調査結果はここをクリックするとフルに見ることができますが、Pew Researchは昨年の大震災のあとにも日本で調査を行っており、今回の結果は、この1年間における日本人の意識の変化を数字で示すものとなっています。

記事はイントロの部分で、日本人の70%が原発への依存の度合いを減らすべきだと考えており、これは昨年の大震災直後よりもかなり高いものである、と報告しています。また政府に対する不満も大いに高まっており、そのことが日本のこれからに対する悲観論の台頭にもつながっているとしている。

Pew Researchが昨年行った調査の中に次のような質問があった。
  • As a result of the March 11 earthquake and tsunami, do you believe Japan will become a stronger nation or a weaker nation?
    3月11日の地震と津波の結果、日本は強くなると思うか、弱くなると思うか?
1年前の調査では日本人の6割(58%)が、あの地震と津波が却って日本を強くすると考えていたのに、現在ではこの数字が4割(39%)にまで下がっているとしている。反対に大震災や原発事故が日本を弱くすると答えた人は昨年は32%であったのに現在では47%にまで上昇しているというわけです。



その他の数字を羅列してみると・・・。
  • 78%:日本の進んでいる方向に不満
  • 93%:日本は経済状況が悪いと思っている
  • 12%:政府はよくやっていると思う(5年前は50%だった)
  • 30%:野田首相はよくやっている
  • 89%:自衛隊はよくやっている
  • 94%:東電は日本の現状に悪影響を与えている
  • 88%:東電の原発事故への対応は肯定できない
  • 25%:原子力への依存度は現状でいい
最後の原子力への依存度ですが、「減らすべき」が70%、「増やすべき」が4%となっています。

この調査ではメディアに対する日本人の見方も調査しているのですが、それによるとメディアが日本社会に対してポジティブな(良い)影響を与えていると考えているのは34%、ネガティブな(悪い)影響を与えているとする人は63%となっている。この数字は2007年の数字(ポジティブ:33%、ネガティブ:64%)とほとんど同じなのですが、10年前の数字がほとんど半々(48% vs 48%)であったことを考えると、日本人のメディア観が「かなりネガティブ(much more negative)」になっていることが分かるとしています。


▼この調査が行われたのが2012年の3月から4月にかけてであることを考えると、大飯原発の再稼働にゴーサインを出した野田さんへの評価が現在でも30%もあるのかどうか疑問ですよね。「将来は脱原発の方向へ向かうけれど、今回のところは再稼働で行かせてくれ」と言っているのではなく、「国民生活を守るために再稼働すべきだというのが私の判断だ」ということは、事実上今後とも原発でいきますと言っているのと同じことですから。

▼日本人にとって悲劇的だと思うのは、主要政党である民主・自民の両方ともが原発オーケー路線を進んでいるように見えるということですよね。Pew Researchの調査で「原発への依存の度合いを減らすべきだ」と考える70%の人々がどこへ行けばいいのか分からないということです。前回のむささびジャーナルで紹介した、在英ギリシャ人が祖国を想って書いたエッセイの中に「この2大政党には国民に犠牲を呼びかけるような道徳的な権威がない(They do not have the moral authority to ask for sacrifices)」という言葉があったのを想いだしますね。

▼メディアに対する信頼感が4割にも届いていないという数字が出ているのですが、これは何が理由なのでしょうか?特に興味深いのは10年前にはほぼ5割であったという事実との比較です。10年前と現在で変化しているといえば大震災と原発事故しかない。しかしメディアへの評価が40ポイントにも届かないのは2007年でも同じことであって、昨年(2011年)3月11日を境に下落したというわけではない。

▼ここでいう「メディア」は "television, radio, newspapers and magazines" つまり主要な新聞であり放送であってインターネットではない。「固定電話」による世論調査に応じた人々(おそらく高齢)の間でさえもメディアに対する信頼感は高くない。10年前でさえも実は5割にも達していない。むささびジャーナルで何度か紹介ししたことですが、英国における「職業別信頼度」調査では「ジャーナリスト」は常に政治家と最下位を争っている。ただ英国の調査でいう「ジャーナリスト」には、あの大衆紙の記者やパパラッチカメラマンも含まれている。しかしPew Researchの言う日本のメディアにスポーツ紙、夕刊紙、週刊誌が含まれているとは思えない。これらのメディアが英国における大衆紙ほどの存在感を日本で有しているとも思えない。

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2)アウシュビッツは「ポーランドの収容所」ではない!

5月30日付のWashington PostにPoles angered by Obama words on ‘Polish death camps’という見出しの記事が出ています。「ポーランド人、オバマの”ポーランドの死の収容所"発言に激怒」という意味です。 

日本のメディアでも少しは取り上げられたかもしれないのですが、 最近、アメリカのオバマ大統領がスピーチの中でポーランドにあったナチス・ドイツの強制収容所を「ポーランドの死の収容所」(Polish death camps)と表現したことがポーランドの人々の反発を呼んでおり、ポーランド政府が抗議、アメリカ政府に謝罪を要求したということがあった。大統領の発言は、アウシュビッツのような収容所におけるナチによるユダヤ人虐殺のことを世界に伝えたポーランドの活動家(故人)に対してアメリカ政府が「大統領自由勲章」を与える式典で飛び出したものです。

オバマさん(正確にはオバマさんのスピーチ原稿を書いた人)としてはPolish death campsという言葉を「ポーランドにある死の収容所」というつもりで使ったのですが、これに抗議するポーランドのトゥスク首相が大統領宛てに送った書簡では、German death camp in Nazi-occupied Poland(ナチに占領されたポーランドにおいてドイツが作った死の収容所)と表現すべきであったと言っている。

これに対してホワイトハウスのJay Carney報道官は
  • This was a simple mistake and we regret it.
    単純な間違い。申し訳ない。
とコメントしたのだそうです。オバマさんの発言の様子はここをクリックするとYouTubeで見ることができます。

この話題はThe Economistのブログでも取り上げられているのですが、それによるとポーランドではメディアも外交官も政治家も、長年にわたって外国人に対して、ポーランドにあるアウシュビッツのような収容所をPolish death campsと呼ぶことは止めるようにと訴え続けているのだそうです。かつての共産圏の国の中では最もアメリカ寄りとされるポーランドがこのことを気にしていることくらいはアメリカ政府が分かっておくべきだった、とthe Economistのブログは批判しています。

▼むささびがこの記事を紹介する気になったのは、Polish death campsという言葉がポーランドでは禁句になっているという事実を紹介したかったからではありません。この記事を掲載したWashington Postのサイトに寄せられた読者からのコメント件数が2100件、The Economistのサイトの場合は1248件にものぼっていることを紹介したいと考えたからです。当然ながら中身もいろいろで、ポーランドは小さなことにあまりにも神経質(extra sensitive)にこだわりすぎるというのもあるし、これらの収容所が実際にポーランド人によって作られ運営されていたと考えているケースもあるのだから、オバマの発言を「ちょっと舌が滑っただけ(slight flop)」で済ませるべきではないという人もいる。百家争鳴という感じでとても面白いということを言いたかったのであります。

▼それらのコメントのうち面白いと(私が)思ったものを一つだけ紹介します。ちょっと長いのですがそのままコピペします。
  • 私、質問があります。非常に多くの人々がPolish death campsと言ったあとで、これを訂正するときに使われるのはNazi death campsという表現です。これはなぜなのでしょうか?収容所はポーランドのものではなくてドイツのものだったのですよね。(場所がどこにあるかというよりも)ホロコーストを実施した国をはっきりさせようとするとそれはドイツなのです。(ナチの収容所と呼んでしまうと)ドイツという国がホロコーストとの関連性やそれにまつわる罰から逃れているように見えるのですよ。何でもかんでも悪いのはナチであり、ナチはドイツとは無関係のように言われる。ポーランド人の中にはいい人もいてユダヤ人を助けたりしたけれど、悪いのもいてユダヤ人を密告したりした。しかしドイツ人はすべて善だった、なぜなら第三帝国の中の悪い個人個人はナチであって、学名的には「正体不明のnon-German」なのだから・・・というわけです。でもナチは月からやってきたのではありませんよ。私の言っていること、分かる人います?
    My question is: Why do so many people say Polish death camps yet the correction that inevitably comes after that is 'Nazi death camps'. The camps were not Polish but German, if we keep to looking at the national identity of the perpetrators of the Holocaust. Yet the German nation seems to escape the collective association/punishment with the Holocaust because they can blame everything on Nazis, as if Nazis weren't German. So some Poles were good and helped the Jews, and some were bad, because they turned them in. But all Germans were good because the bad individuals within the Third Reich were a random non-German (as the nomenclature seems to suggest) 'Nazis'. Nazis did not arrive from the Moon! Anybody gets my point?
▼アウシュビッツの収容所を「ナチが作った収容所」と呼ぶのは納得がいかないということですよね。ドイツが作ったものなのに、ということです。Anna Pという名前の人からの投書だったのでおそらく女性なのでしょう。残念ながらこの投書に対する反論・共感の類の投書が見当たらなかった。ただアウシュビッツ収容所の記念館・博物館のサイトを見ると、
  • "All over the world, Auschwitz has become a symbol of terror, genocide, and the Holocaust. It was established by Germans in 1940"(アウシュビッツはテロ、大量虐殺、ホロコーストのシンボルとして全世界に知られており、1940年にドイツ人によって作られたものである)
    と明記されています。
▼Anna Pの「投書」を読みながら私はむささびジャーナル179号で紹介した『東京裁判とその後』という本のことを思い出しました。東京裁判で判事をつとめたオランダ人のオランダ人のBVAレーリンクがナチスの犯罪を裁くニュルンベルグ裁判のことを語る中で次のように述べている。
  • ドイツでは、ヒトラーがしたことは欺瞞だったと言って、人々はできる限り自分たちとヒトラーの関係を断とうとしました。誰もヒトラーを弁護したがらなかった。
▼ドイツ人によると、悪いのはナチスとヒトラーであり自分たちではないということになる。レーリンクとAnna Pは結局同じことを言っているのではないかと思うわけであります。違います?

▼いずれにしても日本の新聞社が運営するサイトで、すごい数の読者からの「投書」が非常に見やすい形で掲載されることはあるのでしょうか?私の見落としかもしれないけれどほとんど皆無だと思います。Washington PostもThe Economistも自分たちのサイトが情報提供のみならず、読者とともに作るフォーラムであると位置づけているように思えてなりません。

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3)英国独立党の不気味

英国にUnited Kingdom Independence Partyという政党があります。「英国独立党」、略してUKIP。英国がEUから離脱することを旗印に掲げる政党です。2010年の選挙における獲得票数は約92万、保守党の1000万、労働党の860万、自民党の680万にははるかに及ばず、議席もゼロという「弱小政党」ですが、6月9日付のThe Economistの政治コラム、Bagehotは
  • この反EU泡沫政党をそろそろ真面目にとるべきときが来ている。特に保守党への影響力が侮れない。
    It is time to take the anti-EU fringe party seriously, not least for its impact on the Tories.
と言っています。

つい1週間ほど前の政党支持世論調査によるとUKIPへの支持率が9%で、連立政党である自民党の7%を上回っている。この調査では一番人気が労働党の42%、保守党は二番目で34%と出ている。政権政党である保守が野党の第一党に8ポイントも差をつけられているわけですが、キャメロン党首の保守党内における不人気が挙げられます。特に保守党右派の評判が悪い。

保守党内部だけでなく、有権者の間でもいまいちキャメロンの人気が盛り上がらない主な理由として、緊縮政策とEUに対する姿勢があります。世論調査によると、保守党支持者の3分の2が英国のEU離脱を望んでいるのですが、キャメロンはあくまでもEUに残るべきだと考えている。そのことは2010年の選挙で過半数を獲得できず「欧州寄り」であることを明確に打ち出している自民党と連立を組んだことにも表れている。The Economistによると、あのときキャメロンには連立政権ではなく、いったん選挙管理内閣のようなものを作って議会を解散、もう一度選挙をやるという選択肢も残されていたのであり、そうすれば保守党が過半数を獲得して反EU路線を進むことができたのだ、という保守派の思いがある訳です。

で、UKIPですが、反EU路線以外に移民の受け入れ制限、軍事費の増大、グラマースクール(公立秀才学校)の復活など、昔ながらの保守党支持者に喜ばれるような「伝統的英国」の復活を訴えています。パブにおける喫煙権の復活などもその一つですね。さらにはいまでは世界の常識になっている「地球温暖化防止」に対する懐疑論なども展開したりしている。要するに既成の大政党に対する、特に白人ミドルクラスの選挙民の不満の受け皿のようになりつつあるということです。

UKIPの党首はNigel Farageという人物で1964年生まれの48才、元保守党員、現在は南東イングランド選出の欧州議会議員(Member of European Parliament: MEP)をつとめています。テレビなどにも出演したりして顔はかなり売れています。

Farageの演説会場に行くと、明らかに保守党びいきとおぼしきお年寄りがたくさん集まって彼の言葉に聞き入るわけですが、「英国政治は大学でのおぼっちゃん(college kids)によって牛耳られている」「いまの政治家には民主主義を守る能力がない(impotent to defend democracy)」「英国は英連邦の仲間たち(kith and kin)に背を向けてしまった」等々のスローガンを叫ぶと会場が沸きに沸く。さらにユダヤ人による陰謀論にまで話が及ぶこともある、とThe Economistは伝えています。

UKIPにとっての当面の目標は二つある。一つは保守党、労働党の二大政党に次ぐ第三政党の座を自民党から奪うこと。そのために地方議会での勢力拡大を目指しているのですが、いまのところUKIPが多数を占めている議会は一つしかない。ただUKIP支持者が道路清掃をしたり、老人ホームを訪問したりして草の根ネットワークの拡大作戦を行っている。

もう一つの目標は英国がEUにとどまるべきかどうかを問う国民投票の実現です。これについてのキャメロンの姿勢は、将来、EUが英国に対してこれ以上国の主権を移譲しなければならないような要求をした場合にのみ加盟を続けるかどうかの国民投票を行うとしています。

The Economistは
  • 要約するとUKIPの野望は、現在の政治に嫌気がさしている怒りの有権者のために抗議政治を盛り立てるということにある。そのことによって自民党を抜いて第三の政党になるというFarageの当面の目標を達成することができるのか?それはどうでもいいことなのかもしれない。Farageの真の目標は、英国のかたちを変えるということにあるのだ。そのためには保守党を右寄りにすることで、EU加盟国であり続けるかどうかの国民投票をやらざるを得なくなるところまでキャメロンを追い込むことにあるのだ。もしそれが成功するようであるならば、UKIPの叛乱は笑いごとでは済まされなくなる。
    In short, UKIP is trying something ambitious: upbeat protest politics for angry, anti-political voters. Will this achieve Mr Farage’s short-term goal of supplanting the Lib Dems as Britain’s third party? It may not matter. Mr Farage’s real dream is to reshape Britain, by pulling the Conservatives to the right and bouncing Mr Cameron into a referendum on EU membership. If he pulls that off, his insurgency will be no laughing matter.

と言っています。

▼2010年の選挙当時、私(むささび)は英国にいていろいろと見たり聞いたりしたのですが、UKIP支持者がかなりいました。私が滞在していたのがイングランド南東部、どちらかというと白人ミドルクラスが多い地域であったことも理由の一つに挙げられます。UKIPのほかに「英国中心」主義を掲げる政党としてBritish National Party(愛国党:BNP)があるけれど、こちらはファナティックな白人優越主義で、支持基盤はどちらかというとイングランドでも北の地方に多い白人労働者階級です。

▼最近のThe Timesの調査によると、英国とEUの関係についての国民投票を「いますぐにでもやるべき」と言う人が49%、「2~3年後にやるべき」が33%、「不必要」が18%というわけで、8割以上が国民投票に賛成している。またEUの加盟国であり続けるべきかどうかについては、「賛成」36%、「反対」44%、「分からない」19%などとなっています。つまり国民投票をやれという意見が強いし、EU離脱の意見もけっこう強いわけです。

▼ということは国民投票を実施したらEU離脱ということになる可能性が大いにあるということでもある。The EconomistがUKIPの存在を「笑いごとではなくなるかもしれない」と言っているのはそのあたりのことを指しているのだと思います。一つの例として考えられるのが外国企業による対英投資です。英国は製造業ではなくサービス産業の国と言われるようになって久しいけれど、それでも自動車、鉄鋼などの分野の製造業は頑張っているし、英国内の雇用にとって製造業は大切です。ただ現在頑張っている製造業の多くが外国資本の製造業です。

▼クルマのジャガー、ローバーといえばかつては「英国」の代名詞のように言われていたけれど、いまではインドの会社が資本を出して英国人を雇用して頑張っている。なぜ頑張るのか?英国人の労働者の質が高いということもあるけれど、やはりEU市場への輸出が自由にできることが大きい。英国における外国からの直接投資の半数はEUからという数字もある。英国企業がEU圏内の企業によって買収されるというケースもあるし、EU企業が英国内に工場を作るということもある。

▼いずれにしてもEUの加盟国であればこその経済的なメリットは大きいわけで、EUを離脱した英国に外国企業がどの程度の魅力を感じるのか?英国企業による輸出活動についていうと、輸出先トップ10のうち8カ国はEUの国々です(EU以外ではアメリカと中国)。

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4)政治とメディア:ジョン・メージャーが証言するマードックの行状

昨年11月以来、英国においてメディア(特に新聞)の在り方を検証する公聴会が開かれていることは何度か報告しました。リーブソン判事が委員長をつとめているのでLeveson Inquiryと呼ばれているのですが、これまでに数百人の「関係者」が呼ばれて証言をしています。ルパート・マードックのような新聞経営者、編集者のみならず報道の対象となったさまざまな人物が呼ばれているのですが、現在行われているのは「政治とメディア」をテーマにした公聴会で、ブレア、ブラウン、キャメロンらの元首相、現首相も呼ばれています。

6月12日に証言を行ったジョン・メージャー元首相(1990年~1997年)が、首相としての自分と新聞経営者であるマードックとの関係についてかなり赤裸々に語っています。証言はここをクリックすると速記録で読むことができます。

ジョン・メージャー(現在はSir John Major)が保守党政権の首相の座に就いたのは、サッチャーさんが辞任に追い込まれた1990年11月末のこと。それからブレアの労働党に敗れる1997年5月初めまでの6年半にわたって首相をつとめたわけです。メージャーさんと政治ジャーナリズムとの関係については、むささびジャーナル154号で報告させてもらっているので詳しくは書きませんが、英国と欧州の関係強化を目指したことからサッチャーの取り巻き記者から猛烈に批判をされています。特にマードック経営の大衆紙、The Sunによるメージャー攻撃はしつこかった。

Leveson Inquiryで証言したメージャーさんは、1997年の選挙前の2月2日にマードックと夕食をともにしたときのことを語っています。この二人きりの夕食会の席でマードックはメージャーに対して、彼の欧州よりの政策を改めるように迫ります。それに対するメージャーの答えは「ノー」だったのですが、マードックは政策を変更しない限り、間もなく行われる選挙で自分の新聞は保守党支持を止めて労働党を支持することになると警告したのだそうです。メージャーさんはこの夕食会のことは忘れられない(unlikely to forget)として次のように証言しています。
  • 首相の目の前に座った人物が、首相に対して「あなたの政策を変更してください。さもないと自分の組織はあなたを支持できない」と発言するなどということは滅多にあることではありませんからね。
    It is not often someone sits in front of a prime minister and says to a prime minister 'I would like you to change your policy or my organisation cannot support you'.
で、政策変更をしなかったメージャー保守党は5月の選挙でブレアの労働党に負けてしまう。マードック系の新聞のうちThe Timesは中立、The Sunday Timesは保守党支持だったのですが、目玉ともいえるThe SunとNews of the Worldはブレアの労働党を支持したわけです。
  • あの当時私はあまりにもプレスの報道を気にしすぎていた部分もあると思います。なぜそのように気にしたのか?今になって振り返ってみるとよく分からなくなりますが、気にしていたのは事実なのですよ。要するに人間だったということなのでしょう。毎日のように新聞を見ると、自分が信念をもってやっていること、自分について信念を持っていることがからかい半分で書かれているのですからね。そのような状態に身を置けばたぶん怒りたくなるのが人間として当然の感情でしょう。
    I was much too sensitive from time to time about what the press wrote. God knows in retrospect why I was, but I was. I think you can explain that in human terms. If you pick up the papers each day and read a caricature of what you believe you are doing and what you believe you are then I suppose it's a basic human emotion to get a bit ratty about it.

メージャー元首相はまた報道というものに対するとまどいの気持ちを次のように表現しています。
  • とにかく自分が考えてもいないことが考えていることになっており、言ってもいないことが言ったことになっており、自分がやろうとも思っていないことをやろうとしていることになっていたのですからね。
    I learned what I thought that I didn't think, what I said that I hadn't said and what I was about to do that I wasn't about to do.

メージャーさんが首相であったころに保守党の政策スローガンとしてBack to basics(基本に戻ろう)というのを掲げたことがあります。彼としては、保守党本来の姿勢である自由貿易、健全財政、法の秩序、家庭の重視などを前面に掲げたつもりであったのですが、それがメディアによって「古ぼけた道徳精神の復活」というふうに受け取られて批判の対象にされてしまったと述べています。

メージャーさんはそのような状況には「いい加減うんざり(a bit wearing)」としてメディアに対して過剰に反応したことがあるかもしれないが、それは「人間なら誰でもやる過剰反応だった(human over-reaction)」と証言しています。
  • 自分が新聞を読み過ぎたのでしょうか?そうかもしれないですね。傷ついたかって?大いに傷つきましたよ。(プレスが自分に対して)底意地が悪かったか?それは他の人が決めることでしょう。
    Did I read them too much? Yes I did. Was it hurtful? Yes it was. Did I think it was malicious? I think that's for others to make a judgement.
▼あのころの英国メディアによるメージャー叩きは確かにひどすぎたと思います。あまりにも一方的でアンフェアという感じだったのを記憶しています。はっきり言って、日本のメディアによる「菅降ろし」よりもひどかったと思います。いまになって振り返ってみると、ほぼすべてがマードックのなせる業であったと考えても全く不思議ではない。サッチャーのお陰で新聞社の買収が成功したマードックにしてみれば、ろくに教育も受けていない若造がサッチャー路線に反する「欧州寄り」の姿勢をとることに我慢ができなかったのかもしれない。

▼ブレアだって欧州寄りではあったのですが、ブレアにはキャンベルという元大衆紙編集長という報道官がついていた。記者の取り扱い方を知っていた。何と言ってもブレアは労働党を右に寄せた首相です。もちろん弁舌さわやかなカリスマ性もある。マードックにしてみれば可愛い息子みたいなものであったのでしょう。サッチャー、ブレア、マードックの共通点はオックスフォード大学で学んでいるということです。メージャーは秀才公立学校に通ってはいるけれど16才で学業を終えています。

▼英国の政治メディアについて、政治ジャーナリストのAndrew Marrは、「政治記者は余りにも力を持ちすぎている(We have become too powerful)」と言い、さらに「政治記者が政治家の言うことをそのまま伝えるのではなくて、解説者でありすぎる(too much the interpreter)」とも言っている。記者ではなく、評論家のようになりすぎているということです。
  • 現代英国の政治ジャーナリズムは、民主主義が生んだ子供であるにもかかわらず、新聞、そして次には放送メディアが(民主主義の権威の所在場所である)議会や「投票箱」から権威を奪ってしまっている。(Democracy made modern British journalism. Newspapers and then the broadcasting media derived their authority from parliament and the ballot box)

    というのがMarrの見るところです。


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5)サンデル教授の「金で買えないもの」

 

ハーバード大学のMichael Sandel教授(政治哲学)が書いたWhat Money Can't Buyという本が話題になっているのだそうですね。この教授は「白熱教室」という講義のやり方で知られており、この本は『それをお金で買いますか?』というタイトルで日本語版も出ているそうです。私自身は教授のことはほとんど知らないし、この本を読んだわけでもありませんが、最近のGuardianで教授自身がこの本のアウトラインを書いていたのを読んでディスカッションのポイントとしては面白いかもしれないと思ったので紹介します。

本のタイトル、What Money Can't Buyは「お金で買えないもの」という意味ですが、サブタイトルがThe Moral Limits of Marketsとなっている。「市場主義の道徳的限界」という意味ですね。Guardianの記事のイントロがこの本に込められた教授のメッセージを要約していると思います。
  • 人間は何もかもが売り買いの対象になる世界に向かって進んでいる。行列に並ぶことから汚染の権利にいたるまで、」すべてである。そのことは我々にとって決していいことではないのだ。
    We are moving towards a world where everything is up for sale, from standing in line to the right to pollute -- and that's bad for all of us.
ここでいう「行列に並ぶ」というのは、例えば空港におけるセキュリティ・チェックに並ぶ行列でうんざりすることがあるけれど、空港によってはちょっとしたお金(数ポンド)を払えば行列の先頭に並ばせてもらえるfast trackサービスが与えられたりしている。「汚染の権利」というのは二酸化炭素の排出権を売り買いするという、あのことを指しています。何でもかんでも金で買える、そういう世界はよくないと言っているわけです。

Guardianの記事では、人間必ずしもお金だけで動くものではないという例がいくつか語られています。まず原子力発電が盛んなスイスにWolfenschiessenという村があり、ここが放射性廃棄物の貯蔵施設建設の候補地の一つとなったことがある。結果から言うと村民はこれを受け入れたのですが、決定前にある経済学者が村の住民を対象にアンケート調査を行ったところ、あまり有難くない施設であるとしながらも51%が必要なら受け入れても構わないと答えたのだそうです。1993年のことです。

そこで同じ経済学者が、もし議会が村民一人一人に補償金を払うとしたら施設を受け入れるか?というアンケート調査を行ったところ、受け入れても構わないとしていた村人の割合が51%が25%に下落したのだそうで、補償金の金額を5300ポンドにまで増やしても同じだった。5300ポンドといえばスイス人の平均月収をはるかに超える額です。なのに答えは同じで、補償金ゼロという状態の方が受け入れるという人が多かったというわけです。これはなぜなのか?なぜ村人は補償金を払うと言われて施設受け入れに否定的になったのか?

サンデル教授によると、村人たちは自分たちの国が原子力に頼っていることを知っており、どこかに破棄物貯蔵施設を建設する必要があることも理解していた。そしてこの厄介者を受け入れることが国民としての義務であると考えた。
  • 国民としての義務という感覚を背景に考えると、現金の提供は恰も賄賂であるかのように受け取られたのである。実際のところ補償金拒否の意思を示した村人の83%が「自分たちを買収しようったってそうはいかない」と答えたのである。
    Against the background of this civic commitment, the offer of cash felt like a bribe, an effort to buy their vote. In fact, 83% of those who rejected the monetary proposal explained their opposition by saying they could not be bribed.
次にボランティアの募金活動を行うイスラエルの高校生を対象にした実験。募金活動に参加する学生を3つのグループに分け、グループ1の学生には、彼らの活動がいかに世の中にとって大切であるかを説明して送り出した。グループ2と3の学生にも同じような説明をしたのですが、グループ2の学生には募金額の1%を、グループ3の学生には10%を報酬として支払うと伝えたのだそうです。報酬は募金されたお金からではなく別の予算から支払われると説明された。つまり報酬は彼らが集めたお金を犠牲にして払われるものではないということです。

で、3つのグループの中でいちばん募金額が多かったのはどのグループだったか?答えはグループ1(報酬ゼロ)の学生だった。2番目に多かったのはグループ3(10%の報酬)の学生で、募金額がいちばん少なかったのはグループ2(1%の報酬)だった。このことから何が分かるのか?金銭的な報酬によって動機付けを行う場合、お金はたくさんあげるか全くあげないかのどちらかの方がいいということであるのですが、教授によると、金銭が絡んでくると市民としての義務(civic duty)を果たすというよりも手数料を稼ぐ(earning a commission)というふうに活動の性格そのものが変わってしまうということにも気を付けた方がいい。
  • スイスの村人の場合もイスラエルの高校生の場合も、(金銭という)市場の物指しを導入することで、彼らの道徳的な責任や市民としての義務というものの存在感がなくなるか(少なくとも)小さくなってしまうということである。
    As with the Swiss villagers, so with the Israeli students: the introduction of market norms displaced, or at least dampened, their moral and civic commitment.
サンデル教授はいまから3年前の2009年にBBCの招きでロンドンを訪問、Markets and Morals(市場と道徳)というタイトルで講演を行っています。その講演で教授が述べたことを読むと、What Money Can't Buyという本の下地が見えてきます。基本的にはいわゆる「市場原理主義」への疑問符です。
  • 過去30年に及ぶ市場(主義)の勝利の時代を振り返ると、最も決定的な変化は人間の物欲が増えたということにあるのではない。決定的なのは、本来なら市場主義とは無関係な基準によって律されていた人間生活の分野にまで、市場および市場を大事にする価値観というものが力を拡大したということにある。
    Looking back over three decades of market triumphalism, the most fateful change was not an increase in the incidence of greed. It was the expansion of markets and of market values into spheres of life traditionally governed by non-market norms.
サンデル教授のロンドンでの講演は別の機会に紹介したいと思いますが、興味がおありの場合はここをクリックするとテキストにアクセスすることができます。

▼日本では今から6~7年前の小泉改革のころに「市場原理主義」が云々されましたよね。ホリエモンとか村上ファンドなどがもてはやされる一方で、彼らを金の亡者、悪の見本のように言う人も結構受けていた。私自身は、ブレアさんらが推進していた「何でもかんでも民間中心主義」(教育の民営化とか)のようなものには違和感を感じていたけれど、日本で「市場原理主義」を批判する人たちの権威主義、教養原理主義のようなものに対する反発の方を強く感じていたし、これはいまでも変わらない。

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6)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら
palindrome:回文

前から読んでも後ろから読んでも同じ音になる文章や単語のことですね。タケヤブヤケタの類ですが、英単語ではeye、level、Madam、noon、radarなどを思いつきます。が、文章となるとこじつけだらけで可笑しいのが多いようであります。
  • Was it a cat I saw?(私が見たのは猫だったの?)
  • Boston did not sob.(ボストンがすすり泣くことはなかった)
  • Do geese see God?(あひるたちは神を見るのか?)
  • A Santa lived as a devil at NASA(悪魔のサンタがNASAに住んでいた)
などはまともな方で、
  • Madam, I do get a mate. God, I'm Adam.(奥様、本当に私は友だちがいるんです。神様、私はアダムなんです)
  • Madam, I am ill. I've nine men in evil Lima. I'm Adam.(奥様、私、病気なんです。私には悪魔のようなリマに男が9人いるんです。私はアダム・・・)
とくるとほとんどめちゃくちゃですね。ここをクリックするとアホな例がいろいろ出ています。

知らなかったのですが、日本回文協会というのがあるんですね。そのサイトには回文俳句なるものが出ています。
  • 阪神は だめだよだめだ 阪神は(ハンシンハ ダメダヨダメダ ハンシンハ)
  • 新年だ けさのこの酒 断念し(シンネンダ ケサノコサケ ダンネンシ)
  • このニキビ この娘(こ)どこの娘(こ) ビキニの娘(こ) (コノニキビ コノコドコノコ ビキニノコ)
なんだこりゃ!阪神ファンが怒るで、ホンマに・・・

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7)むささびの鳴き声
▼ラジオを聴いていたら、民主党の小沢さんが、昨年の大震災のときに「国民を見捨てて逃亡した」と離婚した奥さんに非難されているというニュースを伝えていました。人気者のキャスターがとりしきる一種の「ニュースショー」のような番組なのですが、「今朝のXX新聞によるとですねぇ、小沢さんが離婚した奥さんに非難されている、ということを週刊XXが伝えているのだそうですね」というものでした。つまりこのラジオのキャスターは週刊誌の記事を伝える新聞の記事を伝えているわけです。「また聞きのまた聞き」です。ちょっとひどいと思いません?朝の6時半、民放ラジオです。

▼小沢さんが誰を見捨てて逃げようが、私にはどうでもいいことですが、物事を伝えることで生計を立てているのであれば、せめて一つの「また聞き」だけにするべきなのではないのでしょうか?キャスター自身が小沢夫人から聞いたことを伝えるのがいちばんだと思うけれど、「XX新聞によると」程度のまた聞き報道も、まあいいとしましょうか。でも「XX新聞がYY誌の記事として伝えるところによると・・・」と、ラジオが伝えるなんてありなのでしょうか?だとすると、別の放送局が「XX新聞がYY誌に出ていた記事について伝えていることをZZさんがラジオで伝えていました」なんてのもありってこと?いずれも日本語による報道であって言葉の壁があるわけでもないのに、です。

▼ちょっと古いのですが、福井県の大飯原発の再稼働を発表する野田さんの記者会見(6月8日)の原稿を読んでいると、本当にバカにされたような気分になります。私と同じような気分に陥りたいとお考えの方は首相官邸のサイトをクリックすると読むことができます。例えば:
  • 福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています
▼「福島を襲ったような地震・津波」が起こっても大丈夫ということは、それ以上のことが起こった場合は大丈夫ではないということですね。そのような「想定外」が起こった場合は諦めてもらうっきゃないと言っている・・・と批判されることを想定して次のようにも言っている。
  • 勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました
▼いろいろなことを「想定」して対策をとっているという趣旨のことを強調しています。「絶対安全」ということはないけれど「最新の知見に照らして、常に見直して」いくことが必要だ・・・要するに安全ではないということです。でも仕方ないんだ、というわけで
  • 豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません
▼と言っている。野田さんにとっては停電もなければ、その心配もない生活が「人間らしい生活」であって、そのためには絶対安全ということはない原子力発電でいくっきゃないということになる。不安はあるけれど、しゃあないんじゃないの?ということですね。ちなみに私がいちばん不愉快だと思ったのは次の部分です。
  • 福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません
▼人間、心にもないことを言われるとハラが立ちません?上の発言の中の「よく、よく理解できます」がそれにあたります。と、ここまで読んできて遅ればせながら思いついたのは、このトークのテキストは野田さんの言葉では全くないのかもしれないということです。原子力業界とそれと共棲する官僚の世界の人たちが無理やり書き上げた作文であって、野田さんは哀れにもテレビカメラの前でこれを読まされていたということです。

▼野田さんに「よく、よく理解できます」と言われてしまった福島県民ですが、地元紙・福島民報は6月12日付の社説で
  • 喉元過ぎれば熱さを忘れる-ということわざがある。首相は現在も16万人もの人々が県内外に避難している福島第一原発事故を忘れたのだろうか。

    と述べています。
▼ところで野田さんの発言は、首相官邸における記者会見の冒頭で述べられたもので、このトークが終わってから記者からの質問を受けたのですが、最初の質問をした記者が次のように切り出しています。
  • 読売新聞の望月です。総理、今週は4日に引き続いて2度目の会見となり、御苦労様です
▼この「御苦労様です」には笑いましたね。野田さんと望月さんはやっちゃん組織の親分と子分という感じであります。「親分、遠路はるばる、ご苦労さんでござんす・・・!」「おう、石松、かあちゃん元気か?」という感じ。実際には、この望月さんは野田さんのトークが業界と官僚による合作であることを知っている。そしてそれを代読させられている野田さんの苦痛に対して慰めというかねぎらいの言葉として思わず出てしまったのが「御苦労様です」であったのかもしれない。あるいは「自分だって、その野田さんの言うことを”素晴らしい”という記事にする役割があるのだ。野田さん、お互いにご苦労さんですね」ってことなのかもしれない。

▼ところで官邸のサイトにはEnglishというセクションもあったので、望月さんの「御苦労様です」をどのように訳しているのか知りたかったのですが、野田さんのトーク自体の英訳がありませんでした。

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