1)アメリカから見る「STAP騒ぎ」
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8月13日付の毎日新聞のサイトに「STAP論文:共著者の米教授病院休職」という見出しの記事が出ていました。STAP細胞に関連する論文で小保方さんらの共著者として名前が出ていた、アメリカのチャールズ・バカンティという教授が、9月1日をもって所属先の病院の麻酔科長を辞任、1年間休むことになったと当の病院が発表したというものです。記事(共同)には「(病院は)STAP細胞論文の不正問題と退任との関係については触れていない」と書かれています。
カリフォルニア大学デービス校にポール・ノフラー(Paul S. Knoepfler)という准教授がおり、ウィキペディアによると幹細胞研究分野の「最も影響力のある50人」の一人に選ばれたような専門家であるとのことなのですが、そのノフラー先生のブログを見ると、この人が日本におけるSTAP細胞がらみのゴタゴタを最初からじっくり見ていたことが分かります。8月11日付のブログにはSTAP News From Harvard?という記事が掲載されており、バカンティ教授の休職について書かれています。何故か休職するバカンティ教授が同僚にあてたメールまで掲載されています。
- "Dear Colleagues:
It is with somewhat mixed emotions that I share with you my decision to step down as Chair of the Department of Anesthesiology, Perioperative and Pain Medicine, effective September 1, 2014."
というのがそのメールの書き出しです。自分が辞職を決定したことについては「皆さんも私も複雑な感情を抱いている」(mixed emotions that I share with you)と言っています。メールにはSTAPのことは一切出ていないのですが、ブログの書き手であるノフラー准教授はバカンティ教授の休職はSTAPと「関係があるかもしれない」(there could well be a connection)と言っている。そもそもノフラー准教授は、STAP問題をめぐるこの病院とハーバード大学医学部の態度には不信感を持っているようで
- STAP細胞の論文について、ブリガム・アンド・ウィメンズ病院とハーバードの医学部は何をやっているのか?STAPをめぐるゴタゴタについては、この2か所から何も聞こえてこないのだ。対照的なのは日本と理研だ。あちらからは止まることなく情報が流れてくるではないか。
What’s the deal with Brigham and Women’s Hospital or Harvard Medical School when it comes to the retracted STAP cell papers? I was just writing yesterday in part about how we haven’t really heard anything (news, statements, etc.) from those places about the whole STAP cell mess. In contrast, in Japan and at RIKEN there has been a non-stop flood of news and developments involving STAP.
と言っている。アメリカ側の沈黙がおかしいと思っていたらバカンティ教授が辞任するという噂が聞こえてきた・・・というわけです。
ノフラー准教授は前日(8月10日)付のブログで、論文が撤回され、笹井芳樹が亡くなってしまった現在
と言っている。准教授によると、STAP問題についてはいまだに答えが出されていない疑問(unanswered questions)が多くある。ブリガム・アンド・ウィメンズ病院とハーバードの医学部の「沈黙」もその一つです。
アメリカ側の2つの機関もSTAP問題についての調査を行っているけれど、結果が分かるのは来年(2015年)であろうとして次のように書いている。
- (これらの2機関による)隠ぺい工作がないと仮定したとしてのハナシであるが、その調査結果は、今回のSTAPをめぐるゴタゴタを理解するうえでは貴重なものとなる可能性がある。が、私としてはあまり期待しない方がいいと言っておきたい。私の予想では今回のゴタゴタの責任の大半がハーバードではなくて日本側にあるとされてしまうということだ。
Assuming there isn’t a whitewash of the situation, the results of the potential Harvard investigation could be important for understanding the STAP mess, but I wouldn’t hold your breath on that. I expect blame to be largely deflected from there to Japan.
ノフラー准教授はさらにSTAP論文がNatureに掲載された経緯にも分からない点が多いと言っています。あれほどの欠陥だらけの論文が何故同誌のレビューを通ってしまったのか?Natureによる説明もあったけれど納得のいくものではなかった。STAP論文は、Natureに掲載される前にも同誌および他の専門誌によって掲載を拒否されたという。ではそれらの拒否された原稿はどこにあるのか?Natureを始めとする専門誌の審査担当者たちがSTAPという科学をどのように考えたのか?それらのことがはっきりしないと、問題が解決したことにはならないというのがノフラー准教授の主張です。
准教授によると、今回のSTAP論文は誤っていただけでなく、幹細胞(stem cell)という研究分野の評判をおとしめるものとなり、それによって多くの研究者のキャリアにキズがつき、スポンサーからの研究資金がストップしてしまったようなこともあった。しかし今回の騒動には良かった点もあるとのことで、
- STAP論文の撤回が早かったこと、STAPに関する疑問が時をおかずに明らかにされたことによって、(幹細胞研究に対する)STAPから害が限定的で済んだことだ。
The fact that the STAP papers were retracted so quickly and that doubts were raised about STAP came out expeditiously, limited the harm from STAP greatly.
と言っています。またノフラー准教授また8月12日付のブログで、亡くなった笹井芳樹博士への追悼文を掲載、
- 笹井博士の業績はこれから何十年もの間、再生医療の研究にインスピレーションを与え続けるであろう。
his pioneering work will inspire regenerative medicine research for decades to come.
と言っており、准教授以外にも多くの科学者がこれに署名しています。
▼ノフラー准教授のブログを読んでいると、アメリカの二つの機関がこの問題には深く絡んでいたのに、いざ問題が起きると知らん顔を決め込んでいる、と批判しているようにも思えてくる。正直言ってSTAP問題は、むささびには「別の世界の出来事」であり、ノフラー准教授のブログ記事など紹介するだけの知識にも自信がないのですが、それでも紹介しておきたいと思ったのは、このゴタゴタを報道するメディアの論調の中に「お陰で日本の科学研究に対する信頼が低下した」という言葉がたびたび出ていたことに理由があります。外国にどう思われているか・・・もういい加減にしたら?と言いたいわけです。これはあくまでも科学の世界のハナシであって、「日本の評判」など全くどうでもいいことだとむささびは思っているからです。
▼8月13日付の毎日新聞のサイトには、STAP問題に絡んで理研の発生・再生科学総合研究センターの改革委員長を務めた岸輝雄・東京大名誉教授とのインタビューが出ており「STAPと縁を切れ」と言っているのですが、そのことはともかく教授の語りの中に、「過熱する報道」とか「マスコミが静かになるのを待つ」、「批判的な報道はますます増え・・・」というような言葉がたびたび出てくる。これらを読んでいると、科学者と呼ばれる人たちが如何にメディアを気にしているかが透けて見えるように思える。それが(むささびには)気になって仕方ないわけです。 |
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2)核戦争回避:「運がよかっただけ」(チョムスキー)
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8月6日付のGuardianにマサチューセッツ工科大学名誉教授のノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)が
- 広島の日(原爆記念日)が近づいているが、我々はなぜいまだに核の運命をもて遊ぼうとするのか?
As Hiroshima Day dawns, why are we still tempting nuclear fate?
というタイトルのエッセイを寄稿しています。
- 広島の原爆投下以後のアメリカの核兵器に関する政策を見ると、過去何十年も人類が生存できたことが奇跡のようなものだ。
It is a wonder we have survived all these decades, given US policies on nuclear armament since Hiroshima.
という書き出しです。1945年以来、米ソ冷戦および冷戦後のさまざまな危機に対応するアメリカの外交について書いているのですが、ほぼ70年間のことを書いているのだからとてつもなく長いエッセイになっており、それを全部紹介するのはむささびの能力をはるかに超えてしまう。その中でもいちばん最近の危機について書いてある部分だけ紹介します(全文はここをクリックすると読めます)。
チョムスキーの言う「最も直近の核戦争の危機」とは何だった思います?それは今から3年前の2011年5月2日に起こったもので、パキスタンに潜んでいた、あのオサマ・ビン・ラディンの殺害です。アメリカの大統領は、言うまでもなくバラク・オバマだった。オバマは「この世の中から核兵器をなくそう」というスローガンを掲げ2009年のノーベル平和賞までもらってしまったのですよね。チョムスキーによると、オバマは核兵器廃絶に向けて「心地よい言葉」(pleasant
words)を並べていたけれど、同時に向こう30年で核兵器開発のために1兆ドルを費やすという計画も持って登場した。カリフォルニアにあるモントレー国際大学院(Monterey
Institute of International Studies)によると、30年で1兆ドルというのは、1980年代のレーガン政権が新しい戦略核兵器購入のために費やした予算と同じような額であるとのことです。
オバマはまた「政治的な得」のためには火遊びも躊躇することがなかった、とのことで、その例としてチョムスキーが挙げているのがパキスタン国内に潜んでいたオサマ・ビン・ラディンの捕捉・殺害だった。あの作戦はアメリカ海軍特殊部隊(Seals)によって遂行されて世界中を驚かせましたよね。オバマは、あの殺害から2年後の2013年5月に米防衛大学における演説でこの作戦について触れたのですが、チョムスキーによると、オバマの演説の中の非常に重要な部分が注目されることがなかった。すなわち
- パキスタンにおける対ビン・ラディン捕捉作戦は決してこれからのお手本(基準)になるようなものではない。あの場合、リスクが極めて大きかったのだ。
our operation in Pakistan against Osama bin Laden cannot be the norm. The risks in that case were immense.
という部分です。
チョムスキーによると、あの作戦において万一にもSealsが敵に捕捉されるようなことがあったら、フルスケールの米軍が投入されてSeals隊員の救出にあたることになっていたのだそうです。場所はパキスタン国内です。アメリカは他国の領土内で(もちろん相手国の了解などなしに)軍事作戦を展開することになっていたということです。パキスタンは「領土意識」が非常に強い国であるばかりでなく、軍隊も非常に強いものを有していた。しかもパキスタンは核保有国であり、核施設がイスラム過激派によって襲われる可能性について大いに憂慮していた。さらにそれまでパキスタン国内にはアメリカの無人爆撃機による爆撃がさんざ繰り返されて国民の反米意識は頂点に達していた。
そして米軍の特殊部隊がまだビン・ラディンの敷地内にいたときに、パキスタン軍の参謀長にSealsによる突入が知らされたのですが、そのとき参謀長が与えたのは、未確認の飛行物体が現れたら直ちに撃ち落とせという命令だった。一方、アフガニスタンにいた米軍のペトレイアス大将が与えていた命令は、もしパキスタン機がスクランブルをかけてきたら撃ち落とせというものだった。結果としてはアメリカとパキスタンという核保有国同士が戦争に入るということはなかったのですが、オバマ自身が認めているとおり、「運が良かったということもある」(it
also depended on some luck)ということです。
チョムスキーのエッセイは次のように結ばれています。
- これまで我々が(核兵器による)破壊を免れてきたのは殆ど奇跡と言っていい。これからも運命をもて遊ぶようなことを続けるならば、聖なるものの干渉のお陰で奇跡がつづくという可能性はますます低くなっていくだろう。
It is a near miracle that we have escaped destruction so far, and the longer we tempt fate, the less likely it is that we can hope for divine intervention to perpetuate the miracle.
▼確かに、あのビン・ラディン殺害作戦を核戦争の可能性という視点から考えたことはなかったですね。それにしてもあの殺害作戦は何だったですかね。9・11の首謀者が殺されて、アメリカ人が狂喜乱舞して・・・3年経って、またオバマがイラクでイスラム過激派を空爆して・・・要するにビン・ラディンを殺しても次なるビン・ラディンが現れるだけだということですよね。
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3)戦争は人間の本性か?
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aeonというオンライン・マガジンに次のような見出しのエッセイが掲載されています。
「この世に戦争本能などというものがあるのか?」というわけですが、イントロが次のようになっています。
- 多くの進化論者が、人間には戦争をするということへの欲求があると信じている。しかし彼らは誤っており、そのような考え方は危険でもある。
Many evolutionists believe that humans have a drive for waging war. But they are wrong and the idea is dangerous
エッセイを書いたのはデイビッド・バラシュ(David P Barash)という人で、米ワシントン州立大学で心理学と生物学を教えている「進化生物学者(evolutionary
biologist)」です。「進化生物学って何?」と、あなたは私(むささび)に聞くのですか?聞かれても困るのですよね。財団法人進化生物学研究所という組織のサイト(日本語)を読んでもはっきりとは分からないのだから。むささびの想像によると、歴史学と人類学と生物学を一緒にしたようなものなのではないか。例えばこの教授の場合、大学で心理学と生物学を教えているということは、人間の心の問題を生物の問題として考えることをやっているのではないかと想像するわけです。
ただ、バラシュ教授のこのエッセイを読むために「進化生物学」についての知識は必要ないと思う。世の中には生物学者でなくても「戦争は人間の本能だ。平和主義なんて人間性が分かっていない奴らの空想にすぎない」というような主張をする人がいるのだから、「戦争は人間の本能」論は必ずしも学者の間だけの話題でもないと思うわけ。なるべく手短に紹介するつもりですが、原文が3100語もあるので、どうなることやら・・・。
バラシュ教授は「戦争は人間の本能」論(のような考え方)を主張する思想や哲学の例を紹介することから始めています。例えば今から90年前の1924年、レイモンド・ダート(Raymond Dart)というオーストラリアの人類学者がヒト科の霊長類の化石を発見したときに、さまざまな証拠からこの霊長類が極めて暴力的な存在であったと特徴づけたのだそうです。
キリスト教の教義の中にも人間性悪説のような主張をする部分がある。16世紀フランスの神学者、ジャン・カルバン(John Calvin)は
- 人間の心は罪の毒に浸りきっており、人間の心が生み出すのは憎むべき悪臭以外に何もない。
The human heart is so steeped in the poison of sin, that it can breathe out nothing but a loathsome stench.
と語っている。
戦争は人間の本能という主張は宗教者のような世界から、本来なら科学と理性の担い手であるはずの知識人の世界にまで及んでいる。
1960年代にベストセラーとなったAfrican Genesis(アフリカ創世記──殺戮と戦争の人類史)の著者であるロバート・アードリー(Robert Ardrey)は劇作家なのですが、この本の中で「人間は武器を使って殺すという自然の本能を有している」(natural instinct is to kill with a weapon)のであり、
- 西欧の人間による偉大なる功績は戦争と本能的な領土争いによってこそ築かれてきたのだ。自由を愛する心などというのは夢物語のようなもので、戦争と武器によってのみ我々は自由を獲得できたのだ。
It is war and the instinct for territory that has led to the great accomplishments of Western Man. Dreams may have inspired our love of freedom, but only war and weapons have made it ours.
とまで言っている。英国にサイモン・クリチリー(Simon Critchley)という哲学者がいるけれど、この人は
- 人間というものは単に殺しのための装置を作るだけではない。我々自身が殺人猿なのだ。意地悪で、攻撃的・暴力的、しかも強欲なる動物なのだ。
Human beings do not just make killer apps. We are killer apes. We are nasty, aggressive, violent, rapacious hominids.
と主張している。要するに暴力とか破壊は人間の本姓なのだと言っている知識人は枚挙にいとまがないということですね。
人間の「戦争本能」を考えるうえで最も重要な人物としてナポレオン・シャグノン(Napoleon Chagnon)というアメリカの人類学者が挙げられています。むささびは初めて聞く名前ですが、日本語のウィキペディアにまで出ているということは、むささびの方が無知であったことの証拠かもしれない。この学者はブラジルとベネズエラの境界近くのアマゾン川流域に暮らすヤノマミ族(Yanomami)を現地に住み込んで徹底調査、The Fierce People(獰猛なる人々)という本を出したことで知られている。
そのシャグノンが徹底的な実地調査で明らかにしたのは、ヤノマミ族の男性は部族間の争いにおいて極めて残忍な殺害方法で敵の部族をやっつけたのですが、彼らは明らかに温和な他部族の男性よりも生殖能力に優れている部分があったということなのだそうです。進化論でいう適者生存の「適者」であったということです。シャグノンの学説は人間の戦争本能を証明するものとしてその筋の学界では権威をもって受け入れられており、このエッセイを書いているバラシュ教授もまたそれを信じていたのだそうです。
が、シャグノン学説を信奉する学者たち(筆者も含む)が見落としていたのは、人間がもっている「暴力性」と「戦争」という現象の間には本質的な違いがあるということだ、と筆者は言っている。暴力性は人間性に深く根付いているかもしれないが、戦争はそれほどでもない(violence
is almost certainly deeply entrenched in human nature; warfare, not so
much)ということです。
- (シャグノンの研究によって)ヤノマミ族の暴力と男性の適者性の間における相関関係があまりにも明確に描かれてしまっていたために、我々は人間の非暴力性の方に目を向けることがなかったということだ。エキサイティングで注目を浴びそうな戦争行為の方だけに眼が行ってしまい、(人間性の持つ)平和を希求するという領域を無視したり過小評価してしまったということなのだ。
A fascination with the remarkably clear correlation between Yanomami violence and male fitness has blinded us to the full range of human non-violence, causing us to ignore and undervalue realms of peacemaking in favour of a focus on exciting and attention-grabbing patterns of war-making.
人類の進化の歴史を見ると、紀元前8500年ごろの新石器革命(Neolithic revolution)以前において支配的な生活様式は遊牧狩猟民族のそれしかない。その頃の人間社会においては個人レベルでの暴力は存在したけれどグループ同士の殺し合いのような暴力(すなわち戦争)は殆ど存在していなかった。これが出てくるのは農業生産が増加して余剰作物というものが登場し、原始的な軍隊のようなものを有する大規模な部族が登場してからの話なのだ、と筆者は言います。「人間はいつの時代にも戦争をしていた」(war
has always been with us)という決まり文句に飛びついてしまう前によく観察するならば、戦争というものが、人類がこれまで受け継いできた「呪うべき遺産」というようなものではないことが分かる、と教授は主張します。
筆者によると、人間を進化論的に観察するならば、酷い暴力行為に走る能力がある一方で、優しさや献身的自己犠牲を発揮する能力も備えていることが分かる。人間に備わった利己主義の遺伝子が、破壊や極めて不快な行動に走らせることがある一方で同じ遺伝子が自己犠牲的な行為に走らせることもある。暴力・非暴力の二面を備えているのが人間だ、と言っている。さらに戦争は人類の歴史において比較的最近の現象であり、生物的に人間に備わったものというよりも文化的に受け継いだものという面が強い。
- 結局のところ、戦争に明け暮れるような世界においてさえ本当の戦闘行為というものは、非暴力による問題解決に比べればはるかに稀なことなのである。国家間であれ個人間であれ、暴力によらない問題解決は毎日のように行われているのである。
After all, even in a war-ridden world, actual wars are much rarer than are examples of non-violent conflict resolution; the latter happens every day, among nations no less than between individuals.
筆者は個人間の暴力と国家間の戦争を考えるにあたって、人間には進化の過程で状況に適応する形で自然に備わったもの(adaptations)と文化の発展とともに身につけたもの(capacities)があり、これを二つに分けて考えようと言っている。例えば言語(language)はadaptationsであるけれど、読み書き(reading
and writing)はcapacitiesであるということ、普通に歩いたり走ったり(walking and running)するのはadaptationsであるけれど、とんぼ返り(cartwheels)や逆立ち(handstands)はcapacitiesであるとなる。
では個人の間の暴力沙汰(interpersonal violence)はどうか?これは人間社会ならどこにでもあるのだからadaptationです。戦争は?人間の歴史全体からみれば比較的最近の現象であるし、世界中どこにでもあるというものではなく、形態もさまざま・・・だからcapacityというわけです。個人間の暴力は人間性に備わったものであり「本物」であるが、戦争はそれほど「自然に備わった」ものではない。
個人的な暴力は人間の本性(human nature)というものに備わってしまったものであるけれど、戦争はそれほど人間性そのものに棲みついてしまった現象ではない。ただ戦争と平和の問題を語ろうとすると、人間の本性というものを変化や進化の中でとらえようとするよりも、より根本的かつ固定的な理論でとらえようとうする姿勢の方に傾きがちである。戦争と平和の問題を議論する際に、現代人がネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるかどうかといったことはあまり問題にはならないというである、と。
しかし人間の本性というものの根本を考えるときの危険性は、物事を単純化しようとする傾向があるということだ。「神か悪魔か」、「カウボーイかインディアンか」、「敵か味方か」・・・といった具合である。しかし実際には人間性というものは「シロかクロか」で割り切れるような単純なものではない。そのことが特に当てはまるのは人間の暴力性についての議論であり、人間を「殺人袁」(killer
apes)のような残酷極まりない存在としてとらえるか、協調的かつ平和愛好的な存在としてのみとらえるのかという単純な二者択一は通用しない。人間は悪魔であると同時に天使でもある。
- 人間の本性はルソー的な博愛主義でもないしホッブスのような悲観主義でもない。人間の肩には悪魔と天使の両方がとまっていて、それぞれが自分の好む方向へ進めと合図しているようなものなのである。
Our human nature is neither Rousseauian nor Hobbesian; instead, both a devil and an angel perch on our shoulders, gesturing toward evolutionary predilections in both directions.
このように言うと、人間がこれまでの進化の過程で受け継いできた「生物的な遺産」(biological heritage)というものが、何とも漠然としてどっちつかずのものであると思われたとしても仕方がない。人間は平和愛好的でもあり、戦争好きでもあるというのだから・・・。我々にできるのは、人間の置かれた特殊な状況をできるだけ素直に見据えることだけである。その昔、ジャン=ポール・サルトルという哲学者が述べたように、平和を愛する方を選ぶか、戦争好き的性格を選ぶか「人間は罰として自由にさせられた」(human
beings are ‘condemned to be free’)ということになる。
むささびは知らなかったけれど、アメリカの有名な絵本作家でセオドア・ガイセル(Theodore Geisel)という人(別名:ドクター・スース)がいる。その人の言葉に
- キミのアタマの中には脳みそというものがある。キミの靴の中には足というものがある。どっちの方角へ向かうのか、選ぶのはキミなのだ。
You have brains in your head. You have feet in your shoes. You can steer yourself any direction you choose.
というのがあるのだそうであります。人間が戦争好きな存在なのか平和を愛好する存在なのかという問題を考えようとすると、このドクター・スースの言葉をマジメに考えてみることだ、というのがデイビッド・バラシュ教授の長い長いエッセイの結論です。
▼だらだらと長かった割には大したこと言っていない・・・と思います?むささびはそうは思わないのでありますよ(だから紹介する気になったのですが)。人間の本性・本能なんてそれほどシロかクロかの単純思考で話ができるようなものではないということ(だからエッセイも長くなる)。それを無理やり単純化して悦に入っているような人がいますよね。その手の人の場合、単に複雑なハナシに弱い(アタマがついていかない)だけなのに、「戦争は本能」論をまくしたてて相手を言い負かして喜んでいたりする。なにせ単純だけにメディアには受ける。
▼「日本と中国が戦争!!」というと見出しになるけれど、「日本と中国が戦争していない」というのは記事にならないもんな。でも、人間をありのままに観察すると、暴力沙汰のケンカはしょっちゅうでも、国と国の間の「戦争」は極めて稀なのですよね。このように考えていくと、「見出しになること」でメシを食っているメディアが「戦争は本能」論の方に傾きがちなのも分かるような気がしません?でも現実は違うということです。現実の生活はそれほど「エキサイティング」なものではない。
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4)英国の若者は群れたがる?
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The Spectatorは創刊が1828年7月6日という歴史を誇る週刊誌なのですが、いわゆる「保守派」のオピニオン・マガジン」の代表格です。8月2日付のサイトにロス・クラーク(Ross
Clark)というジャーナリストがいかにも保守派と思わせるようなタイトルのエッセイを寄稿しています。
というのですが、クラークによると、最近の英国の若者のライフスタイルを特徴づけるのが「個人主義の死」(death of individualism)であり、1980年以後に生まれた世代は「5分以上、独りでいることを怖がる」(being alone for more than about five minutes)のだそうです。クラーク自身は1965年生まれだから、ようやく50才になろうかという年齢であり、1941年生まれのむささびから見ると「若者」みたいなものです。が、その彼の眼には30才を超えたばかりという「いまどきの若いやつら」の群衆埋没症のようなものが実に情けないものに写っているようなのであります。
やり玉に挙げているのは、例えばGlastonbury Festivalというロック・コンサート。1970年代に始まったものなのだから、クラークだって行ったことがあるのではないかと思うのですが、「音楽なら自宅で楽しめばいいのに、こんなものに20万も人間が集まるなんて信じられない」などと言っている。海岸で遊びたければ他にもあるだろうに、ブライトン海岸(Brighton
beach)だけに足の踏み場もないくらい集まる。まだある。今年はあのツール・ド・フランスの自転車マラソンが英国でスタートしたのですが、沿道でこれを見物した人の数は600万人。ほとんど一瞬にして自分たちの目の前を通り過ぎるのだからレース全体の様子なんて分からない。本当のファンはテレビを見る(a
real fan would watch on the television)だろうに、というわけです。それもこれも群衆の中に身を置きたいという「群衆文化」に毒された世代のなせる業である!
▼そんなこと言っても、ロックコンサートなんて昔からたくさんの人が集まってドンチャカやるから面白いんでないの?ロックなんて自宅の居間で独りしんみり聴いたって面白くもなんともないでしょ?それは春日八郎の『別れの一本杉』の世界です。でも、クラークには春日の八ちゃんの歌なんて分からないだろうな。それとツール・ド・フランスにしても、自宅でテレビ観戦よりどんなにあっという間に選手が通り過ぎるとしたって「生」の方がいいに決まっておる。何を考えているのか、この筆者は。 |
英国人の群集心理は住宅事情にも表れているのだそうです。特に顕著なのがロンドンで、1995年の人口は700万にもいっていなかったのに、20年後の今では850万。それもこれも皆が首都に集まって住みたがるからです。だからロンドンの住宅価格は天井知らずで上がる一方なのに田舎の住宅は売れずに困っているらしい。ロンドンと言えば許せないのがレストランの客層である!何が気に入らないのかというと、昔のレストランはカップルもしくはせいぜい3~4人の小さなグループで来て静かに食事と語らいを楽しむのが当たり前だった。それが最近では、女の子たちが大挙して夜の街に繰り出し(a
vast girls’ night out)、レストランで大騒ぎをするらしい。裏通りのパブだって今や巨大ドリンク工場(vast drinking
factories)と化している。一挙に1000人も収容するのだそうです。
▼vastという言葉が二度も出てきたけれど、これはクラークの怒りが分かりますね。女の子の大群がレストランに繰り出して「ピーチクパーチク」なんて気持ち悪いっつうのさ。パブが消えて巨大ドリンク工場に変身?1000人もの男女がですね、ビール片手にワイワイガヤガヤなんて・・・じぇったい間違っとる!ただ、ロンドンに住みたがる若者が増えているというのは「群れたがり」とは関係ないんでない? |
個人主義が没落して集団主義が跋扈(ばっこ)しているとなると喜ぶのは「左翼」(the left)の連中だろうと筆者は言っている(英国ではいまだに右翼・左翼という言葉が当たり前に使われるのであります)。個人主義が死んだということは、左翼が忌み嫌っていた、あのサッチャー流の人間観が敗れたという意味でもあるのだから・・・。
なのに、なのにである、筆者の観るところによると、個人主義が死んで集団主義が大きな顔をしている時代であるにもかかわらず、それが「社会主義の復活」(revival of socialism)には結びついていない。それどころか反対の現象さえ見られるではないか。例えば所得格差がどんどん広がっているのにいまの若い者は気にする様子がない。上に挙げたロック・コンサートだって、最低料金がいくらだと思います?210ポンドよ!為替レートではなく、いろいろな物価を考慮に入れて考えると、210ポンドはざっと2万円です。信じられます?しかも(しかもです)低所得層のための「割引料金を設定しろ」という運動が起こっているというハナシも聞いたことがない。そもそもこのコンサートは開始当初(1971年)は無料だったのですからね。
要するに群れたがる若者ではあるけれど、おカネとかレジャーなどを皆で分かち合おうという気はない。その意味では「個人主義」なのだ。それなのに群れたがる!?いろいろと説明する人はいる。例えば「仕事場が孤独だからそれに対する反動」(a reaction to more solitary working environments)で職場外では群れたがるのだという説もある。でも昔の職場だって、工場労働者は仕事中は私語をすることもなく基本的に「独り」だった。
1970年代までの英国は製造産業が中心の社会だった。大きな工場で労働者として働き、労働組合に守られて仲間意識も強かった。その製造産業が衰退した1980~90年代、職場が「核化」(atomised)して仲間意識も弱くなるにつれて、「自分で道を切り開きたいという欲求」(desire to plough one’s own social furrow)が最も強くなった時代であった、と筆者は言います。つまり個人主義が最も強かった時代ということですが、実はそのころに個人主義が自らの没落の種を撒いたのではない(seeds of its own demise)と筆者は分析している。すなわち「個人主義時代の子供たちに個人として発展するだけの時間も場所も与えなかったということである」(denying its children the time and space to develop as individuals)というのです。
▼1980年代の10年間は文字通りサッチャー革命真っ盛りの時代であったし、90年代にもそれが受け継がれ、労働党まで保守党化した時代だったのですよね。「小さな政府」が叫ばれ、「個人の利益追求」がもてはやされた時代だった。なのに、子供たちには個人としての発展を約束するような環境が与えられなかった・・・? |
筆者によると1970年代までは、子供たちの遊びは子供たちが考えるのが当たり前だった。親もそう思っていた。中流階級だろうが労働階級だろうが、子供たちは自分で遊んでいたし、自分だけで過ごす時間が結構あった。それが1980年代になって親の放任主義というものが許されなくなった。特に成功した人びとの間では自分の子供たちが将来良い目にあえるように親が手を貸すことが美徳とされるようになった。そして子供の世界がかつてに比べるとはるかに組織立ったものになり、子供たちは一つの活動から次の活動へ「連れて行かれる」(ferried)ようになってしまった。
その結果として独りで時を過ごすことが全くないような世代が生まれた。この世代は外からのインプットなしにはどうしていいのか分からない。個人主義には自立の精神や粘り強さといういい点があったのに、いまや独りでいることは怖れるべきこと(something to be feared)になってしまった。「仲間」から切り離されることがとてつもなく怖ろしいことであり、絶対に避けなければならないことと思われるようになってしまった。
最近流行りの理論に「創造性はたくさんの人間を同じ場所に集めることで生まれる」(creativity results from gathering large numbers of people in the same place)というのがあるんだそうですね。筆者はシリコン・バレーをその例として挙げています。この理窟でいくと、大都会が栄えるのは「脳」が沢山集まるからであり、小さな町は文化的に遅れてしまうということになる。確かにツイッターだのフェイスブックだのというソシアル・メディアを立ち上げるというような意味での「創造性」を言うのであれば、大勢の人間がいる事務所の方がいいかもしれない。しかしそんな場所は素晴らしいクラシック音楽を作るのには向いているわけがない。グスタフ・マーラーのような意味での創造性はムリというものだ。
▼グスタフ・マーラーというのは、(むささびには)なんだかよく分からない音楽を作った、あの人ですよね。彼が作曲活動をしたのはWortherseeという湖畔の山小屋であったそうです。 |
現代の群衆大好き英国人たちの心を支配しているのがソシアル・メディアで、そこではわずかな種類の場所、モノ、人間、アイデアなどが集中的に好まれ他のものはその犠牲となって忘れられる。そこでは自分で発見するということがない。すべては他人が発見してくれる。
- ソシアル・メディアは我々の内なる強迫観念に働きかける。あれをやらなければならない、これを見なければならない。なぜならみんながそうしろと言っているから。
Social media works on the latest obsessive-compulsive disorder in us; the voice in us telling us we must do or see something because everyone else is telling us to.
筆者は、群集文化を罵倒することで「頑固爺さん」(old grandad)のように思われたくない・・・と言っている(ここまで言えばもうとっくにそう思われているけれど)。むしろ皆が群集心理を発揮して同じような場所で群れてくれれば、自分だけ別のところで静かに楽しめるのだから、群集文化にもいい点はあるなどと言っている。
- 先週など、夏の暑い日に南イングランドの海岸がヌードで日光浴ができるくらい空いていた。あのあたりは人口が多いはずなのに、みんなどこか別のところで群れているようだった。
I could find last weekend, on a hot day in the middle of summer, a beach in highly populated southern England deserted enough for nude bathing.
とのことであります。
▼最後まで可愛いくないことばかり並べ立てたエッセイであるわけですが、この筆者によると、英国でも若い連中は「仲間外れ」を恐怖するのですね。日本では「村八分」なんて言葉があるくらいだから、昔から集団主義、群れたがりが盛んなのですよね。むささびジャーナル自体が、「世の中から忘れられたくない」という理由でやっているのだから、偉そうなことは言えない。 |
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5)タブノキを忘れないで
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ひと目見ただけで名前が分かる樹木、あなたにはどのくらいありますか?私はというと・・・イチョウ、松、モミジ、カエデ、ユリノキ、杉、ヒノキ(ついでにイングリッシュオーク)といったところですかね。どれも葉っぱで分かる樹木です。花が咲いていないときの桜や梅は自信がない。実がなっていない柿の木も。タブノキなんて、見たことも聞いたこともないのでは?
『タブノキ』(山形健介著・法政大学出版局)の著者によると、この木は「いつも青々とした葉を繁らせ、黙然と静まりかえっている」のだそうです。つまり一年中葉っぱが落ちない常緑樹なので季節による変化が目立たない。春になると新緑がまぶしいカエデやナラ、秋になると美しく散るイチョウやモミジは歌になるけれど、タブノキの場合は、名前を教わって初めて「あ、そうだったの」と言われてしまうような存在。神社の境内などにひっそり立っていたりする。高さ20メートル、直径2メートルという巨木もあるけれど、一年中さしたる変化もなく「黙然」としているのでは、松、イチョウ、桜のように学校の門や庭に立っていて卒業生の想い出に残るなんてこともない。
『タブノキ』は法政大学出版局が出している『ものと人間の文化史』シリーズの一つとして発刊されたハードカバーです。このシリーズの狙いについて同出版局は
- 人間が<もの>とのかかわりを通じて営々と築いてきた暮らしの足跡を具体的に辿りつつ文化・文明の基礎を問いなおす。
と言っている。このシリーズで取り上げられた「もの」としては(例えば)『船』、『竹』、『石垣』、『筆』、『まな板』、『看板』、『井戸』、『落花生』等々があります。どれも我々の身近にあるけれど、その生い立ちについてはあまり深く考えられたことがない「もの」についてじっくり語るものです。『タブノキ』はこのシリーズの165番目にあたる。
タブノキは樹木の名前なのですが、地方によっていろいろな呼び方をされており、「一つの樹木としては、最も多いほどの呼称を持っている」のだそうです。例えばゴンタブ、シロタブ、タブギ、センコタブなどはいいとして「クソタブ」なんてのもあるのだそうですね。
『タブノキ』で紹介されている諸々は、この樹木になぜか惹かれてしまった著者が「ただタブの魅力にひかれ、タブにゆかりのある人、場所を訪ね、タブにかかわる話を聞き、集めた」というものです。タブノキがどのような木で、どこに生えていて、どのような形で人間の暮らしとかかわってきたのかという、一部始終がほとんど呆れるほど事細かく記されています。文中に出てくる参考文献や資料・史料の名前を見ただけで「そんな資料があるのか!」と驚くようなものが多い。例えば『木偏百樹』、『原色台湾薬用植物図鑑』、『諏訪大社の御柱と年中行事』、『日本樹木名方言集』などなど。
それからこの本にはタブノキにちなんだいろいろな町や村の名前が出てくる。青森県深浦町、岐阜県揖斐川町、石川県羽咋郡、島根県雲南市三刀屋、京都府伊根町、鹿児島県大浦町・・・どれも行ったことがない町ばかりなのですが、むささびはこの本を読みながら、JRが「国鉄」と呼ばれていた時代に列車の時刻表を見ながらわくわくした、あの気分を想い出してしまった。分かります?
ではタブノキはどこに生えているのか?青森県深浦町を北限に南は奄美大島、沖縄までどこにでも生えているのですが、地理的な意味での分布地図についてはこの本を買って読むなり、ネットで調べてもらうとして、むささびとしては場所を特定して紹介したい誘惑に駆られるわけです。旅行ガイドですね。
まずは岐阜県揖斐川町乙原の白髭神社にあるドンガの森。「ドンガ」はタブノキのことなのだそうです。ここのタブノキは幹の周囲600センチ(直径約2メートル)、木の高さ34メートルというのだからただものではない。樹齢は200年から300年くらいだそうです。この神社へ行くには、グーグルマップによると、JRの東海道本線で大垣まで行き、そこで樽見鉄道に乗り換えて本巣という駅で降りる(らしい)。
直径2メートルで驚いてはいけない。環境省が調べた巨木リストによると神奈川県愛甲郡清川村にあるタブは周囲が何と9メートル(直径約3メートル)もある。これが巨木タブノキのナンバーワンだそうであります。この巨木を見るためには小田急小田原線本厚木駅から1時間以上バスに乗る必要がある。また環境省のリストとは別にネットに出ていた巨木タブのリストによると、千葉県香取市府馬の宇賀神社にある通称「府馬の大クス」の幹周は10.3メートルだそうです。ちょっとおかしいのは、香取市商工観光課によると「幹周15メートル」となっていること。いずれにしても写真で見ると「な、なんだこりゃ!」と思わず後ずさりしたくなる。そんな気分に浸りたい人は、JR成田線小見川駅から旭行きのバスに乗り「小保内」という停留所で降りると徒歩6分だそうです。
次に何故か石川県羽咋郡志賀町大福寺というところにある高爪神社へ行ってください。直径約1.6メートルのタブノキが見られるばかりでなく、案内によると、この神社奥の院、高爪山山頂まで登るとタブノキ古木群なるものがあるのだそうです。金沢から特急列車に約30分乗ると羽咋に着くので、駅前から北鉄バスに乗って30分走ると志賀町(しかまち)です。神社ついでに島根県雲南市三刀屋というところにある高尾神社へ行って見る気あります?ここにあるタブノキは直径は1.4メートル程度なのですが高さが35メートルもあるのであります。
と、これらはいずれもかなり人里離れたところに黙然と立っているであろうタブノキ・ロケーションなのですが、次にぐっと都会へ行きまして、
- 東京駅から神田方面に向かうと、大手町と神田の境を日本橋川が流れ、上に高速道路が通る。ここに鎌倉橋が架かり、橋の南東、大手町側に立っている木
というのがタブだそうであります。それから横浜にあるかつての英国総領事館、現在の横浜開港資料館の中庭にある「玉楠」という木もタブノキです。ぐっと西へ下って名古屋の繁華街・栄にある御園座の道路の向かい側にあるのが神木「御園のタブノキ」です。さらに西へ下って、新幹線・新神戸駅の裏手、布引山に上るロープウエー駅の西側に「見事なタブが一本、誇らしげに立っている」のだそうです。いずれも大都会の真ん中で黙然と立っているタブたちであります。
樹木としてのタブはこのくらいにして、タブノキが何に使われるかということに話題を移します。当然、柱、鴨居、軒桁のような住宅関連の使われ方はあるし、高級家具もあれば丸木舟なんてのもある。が、むささびが憧れてしまったのは「舟屋」ですね。漁船の格納庫ですが、丹後半島の東端にある京都府伊根町というところには湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並んでいるらしい。地元の観光サイトには「この景色はどこか懐かしく、日本の原風景 を感じさせる」とも書いてある。この舟屋の建材として使われているのがタブであるわけですが、それはタブが潮水に強いという特性があるからです。
もう一つタブの用途を紹介すると鉄道の枕木があります。「精油分を多く含んでいるため、雨やシロアリに強く、防腐の必要がない」という特質が故の用途であったわけですが、『タブノキ』によると、枕木用のタブを伐って売るだけで「左団扇だった」のが、鹿児島県にある十島村の中之島というところだった。ただ、今の十島村のサイトを見ると、タブノキというのはなくて、スダジイという常緑樹の群落があると書いてあります。「左団扇の生活」のためにタブノキをみんな伐ってしまったということ?
十島村は、屋久島と奄美大島の間にあるのですが、有人7島と無人島5島から成る列島村でトカラ列島と呼ばれている。その有人7島の一つが中之島というわけですが、ここはトカラ列島でも最大の島で十島村役場もここにある。どうやって行くのかというと、鹿児島を夜の11時に出るフェリーに乗ると、朝の6時に到着します。船で行くしかないそうです。
熊本県八代市と鹿児島県川内市を結んで走る鉄道に肥薩おれんじ鉄道というのがあります。昔は鹿児島本線だった。八代から乗って13個目に袋という駅がある。熊本県水俣市に入る。この駅の付近にいまからほぼ60年も前の1956年にタブの粉を生産する工場が作られた。作ったのは関西のビジネスマンで鷲野隆之という人で、もう故人であるけれど生きていれば今年(2014年)で87才になっていた。タブの粉は樹皮と葉っぱを乾燥させ粉砕して作るのだそうですが、それを何に使ったと思います?お線香のつなぎ(粘結材)です。タブの粉をベースにしてビャクダンのような香木の粉末などを混ぜて練る・・・それがお線香の作り方だそうです。
鷲野氏が袋にタブ粉工場を作ったのは戦争が終わって10年ほどしたころですが、当時の日本の有力な輸出品として蚊取り線香があった。大手の商社がその輸出に力を入れており、本場・和歌山での生産が盛んだった。ただ蚊取り線香作りに欠かせないのが粘結材としてのタブ粉。これに眼を付けたのが鷲野氏で、鹿児島や熊本の山に生えているタブを探しては樹皮や葉っぱを集めて粉を作って和歌山の会社に納入して大儲けしたのだそうです。ただ、蚊取り線香は東南アジアでも生産されるようになり、日本からの輸出が減ってしまい、鷲野氏が立ち上げた工場も1967年に閉鎖されたのだそうです。戦後日本の産業史の一コマです。
以上は、『タブノキ』で紹介されている、この木にまつわる諸々のほんの一部にすぎません。最後に再び樹木としてのタブにまつわるハナシを紹介しておきます。東日本大震災で大被害を受けた三陸沿岸の町で進められている「緑の防潮堤」構想の中心になっているのが植物学者の宮脇昭・横浜国立大学名誉教授なのですが、彼が進めているのがタブノキの植樹活動です。
2011年3月11日の大津波では海岸に植えられた松が根こそぎ流され、それが大挙して住宅地を襲う二次災害まで引き起こしたケースが多いのだそうです。なぜ松が流されたのか?根っこが浅いからです。宮脇氏が提唱しているのは、松などに交じってその土地に適したタブノキやシラカシなどを植えること。これらの木は直根性で地面の下に深々と根っこを張る性質があり、押し寄せる津波を押し返し、そのエネルギーを減衰させる働きをするのだそうです。
岩手県大槌町に作られた「平成の杜」もそのプロジェクトの一つで、タブノキ、シラカシ、アカガシ、ヤマザクラなど15種類の苗木、5,000本が植えられています。大槌町へ行くには、東京(東北新幹線)→新花巻(JR釜石線)→釜石(バス)→大槌町というルートで、車内だけでざっと5時間。「平成の杜」は大槌町小鎚を流れる小鎚川の河川敷にある。
繰り返しになるけれど、上に述べたことは『タブノキ』という本に書かれている事柄の100分の1もいかないかもしれない。300ページ足らずだからさして厚くもない書籍なのですが、中に収容されているタブノキに関する「事実」の量は膨大です。この本を書くために著者はさまざまな場所でさまざまな人びとと言葉を交わしているのですが、この本を著そうと考えた動機は
- 話をうかがった多くの方が高齢だったためである。実際にタブの幹・枝葉に触れ、伐り、挽き、搗いたといった話は、彼らのほかにはなしえないし、彼らがいなくなれば消滅してしまう。
ということで、いま記録に残さないと受け継がれることもなく忘れられてしまうことへの口惜しさにある。『ものと人間の文化史』というシリーズがこの本を仲間に加えたのは、自分たちが作り、自分たちを作ってきたものが忘れられてしまうことへの人間としての抵抗の試みなのでしょう。そして山形健介さんの『タブノキ』もまたこれから書かれるであろう樹木に関する研究本の著者たちによって「参考文献」のリストに加えられていく。「文化」というのはおそらくそうやって厚みを増していくのですよね。
その昔、柳田国男という民俗学者が、クロモジという木の香に魅せられ、つま楊枝として使うという日本の伝統や歴史について分かってくると「人々の心は柔かくなり、又際限も無く物悲しくなる」と書いたことがあるのだそうで、『タブノキ』の著者は
- タブという木を知ったことで、確かに心が柔らかくなったような気がする。
と述べています。彼はタブノキを「黙然と静まりかえっている」と表現している。この本もかなり「黙然」として中身が濃く、地中に深々と根を下ろしている風情です。
▼東日本大震災の被災地でタブの植樹を進めている植物学者の宮脇昭さんは広島文理科大学で学んだのですが、原爆投下数年後の被災地で植物調査に参加した。その際に原爆ドームから2キロ離れたところにあった神社で3本のタブノキが枝葉を枯らして立っているのを発見したのですが、そのうちの一本の根元からはタブの新芽が何本も出ていたのを見て大いに感動したのだそうです。
▼むささびが暮らしている埼玉県飯能市の住宅街に、どうってことない(?)神社があるのですが、そのどうってことない境内にタブとおぼしき木が立っています。「おぼしき」というのは神社に確認したわけではないということなのですが、『タブノキ』で説明されている木とそっくりなのです。午後になると近所の子供たちが集まってきて時を過ごすのを見守っているという風情で、まさに「黙然」そのものなのであります。が、幹(直径ざっと1メートルかな?)にはいつもしめ縄が巻かれている、ということはこの木がただ者ではないことを物語っている(とむささびは考えています)。 |
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6)どうでも英和辞書
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tatoo:刺青(いれずみ)
信じられないと思うけれど、英国人の5人に一人が刺青をしているのだそうです。BBCのサイトに出ています。日本では刺青とくると何やらおぞましいものというイメージですが、英国では必ずしもそうではないようです。例えばデイビッド・ベッカムなんかもやっているし、キャメロン首相夫人のサマンサなどは踝(くるぶし)の部分に刺青をしているのだそうです。ただ拒否反応もそれなりにあるようで、企業によっては従業員に対してこれを禁止しているところもある。BBCによると、刺青禁止の規則を作った企業に対して、愛好家の従業員から「差別だ」というクレームがつくのだそうです。
上の写真はバーミンガムに住む刺青愛好家のbefore/afterの顔です。この人はニックネームがBody Artistという自民党(Lib-Dem)の若手活動家で、ロンドンまで行って担当大臣に対して「刺青愛好家の差別撤廃」を訴えるロビー活動をやっている。いくらなんでも、ちょっとやりすぎなのでは?この人と夜の住宅街ですれ違ってみなさい、誰だって腰を抜かすよね。
日本人が刺青というとしかめっ面をするのは暴力団とかやくざのような存在と結びつけて考えるからですよね。英国企業などが目に見える刺青に対して拒否反応を示すのは「だらしない」(untidy)、「見ていて不愉快」(repugnant)、「道徳に反する」(unsavoury)などが理由であるそうです。最後の「道徳」云々がよく分からないけれど、企業にしてみると倶利伽羅紋々(くりからもんもん)の従業員などがいると顧客が逃げるし、社内的にも風紀を乱すということらしい。でも拒否の理由の中に「怖ろしげ」(scary,
intimidating)というのがないというのが日本とちょっと事情が違うようですね。
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7)むささびの鳴き声
▼広島市北部を襲った豪雨による土砂災害。8月23日(昨日)付の毎日新聞のサイトの見出しが「広島市水防計画守らず」ときて、記事では「市の対応が後手後手となった状況が浮かぶ」、「判断の迷いから一つ一つの行動が遅れ」、「専門家は"行動計画とは本来、判断を迷わないよう定めるものだ"と疑問を投げかけている」などの記述がズラズラ並んでいます。記事の言っていることはすべて「ごもっとも」なのかもしれないけれど、あまりにも「ごもっとも」すぎて「だったらアンタが市役所の防災担当をやってみたら?」と言いたくなる。「専門家は・・・」という言い方が使われるのも相も変わらずという気がしませんか?
▼『タブノキ』という本を読んだせいなのかもしれないけれど、広島の災害現場のテレビ中継で、つい押しつぶされた住宅の裏山にびっしりと生えている樹木に眼が行ってしまう。むささびが暮らしている埼玉県西部には、住宅の裏にすぐに山が迫っている、あのような景色がわんさとある。しかもかなりの裏山が杉林です。根が浅いから土砂災害で流れやすいと言われる。日本中の杉・ヒノキ林が人間による植樹で生まれたと言われるけれど、中にはタブノキのような根が深い樹木を伐採して杉林に変えてしまったところもあるかもしれない。そしてそこには間違いなく「専門家」が絡んでいたはず。彼らを責めるつもりは全くないけれど、当時の彼らがアタマの中で何を考えていたのか?これだけは知ってみたい。
▼さいたま市大宮区にある三橋というコミュニティの公民館が発行する「公民館だより」という刷り物に憲法9条という言葉の入っている俳句<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>が掲載を拒否された・・・そんなことがあったなんて、ちっとも知りませんでした、お恥ずかしい。その俳句は「公民館だより」に掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだものであるにもかかわらず、公民館の運営元であるさいたま市役所が「世論を二分しているテーマが詠まれている」というので掲載を拒否したのですね。
▼お笑いとしかいいようがないけれど、この俳句をグーグルの検索に入れて驚きました。沖縄の新聞、全国紙のコラム、個人的なブログ等々、すごい数の記事が出ておりました。そんな中で俳句同好会のブログと思われるのが、「梅雨空に・・・」を論評しており、「の」は不必要なのではないかと言っております。なるほど、「の」という文字を一つ取っただけで、リズム感が違いますね。あるいは、「に」も問題だとしています。というわけで・・・
- 梅雨空に『九条守れ』の女性デモ
- 梅雨空に『九条守れ』女性デモ
- 梅雨の空『九条守れ』女性デモ
▼う~ん、いろいろですな。あなたならどれにします?中には「九条」を「クジョウ」と読ませれば載せてもいいのでは?という声もありました。でもそれだと「苦情」(クジョウ)が来たりするのでは?! で、市役所が掲載を拒否した問題ですが、俳人・金子兜太さんによると、この俳句に政治的な意味を持たせたのはお役人の方であり、「実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」ということであります。言えてます。
▼ついでと言ってはなんですが、この俳句をめぐって沸き立つブログの中に「日本人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!」という願いを込めたブログというのがありまして、その主宰者は、『九条守れ』の俳句は「独りよがりの九条教徒」の作品であると断定しています。そしてこれではなくて「梅雨空に靖国参る女性(ひと)一人」という作品を掲載しろ、と申しております。「九条」はダメだけど「靖国」は結構ということなのですが、三橋公民館担当の市役所の人が何と言うか・・・。案外、「国論二分でも安倍さんのやることに反対するわけにはいかない」ってんでオーケーだったりするかもね。
▼『真夏の空は青かった』(佐野陽子編)はサブタイトルの「戦後70年たってわかったこと」という言葉が示すとおり、太平洋戦争を実際に体験した人びと25人がそれぞれの想い出を語っているのですが、年齢は全員「アラエイティ」(80才前後)だからあの戦争を10~15才の少年・少女として体験したことになる。エッセイの寄稿者の多くは「紙販売会社管理職」「外資系銀行人事部長」「参議院速記者」「筝曲教授」「不動産賃貸業」のような職業人だった人たちで、編者の佐野陽子氏(慶応大学・嘉悦大学名誉教授)と「ジャーナリスト」の日野健氏以外は、書くことを仕事にしていたと思われる人はいません。
▼どれも言葉は柔らかいけれど、語っている内容は重いものばかりです。その中で、ある会社の代表取締役という立場の寄稿者(84才)は、日本を戦争に導いたのは政治家や軍人たちであるけれど、世論を戦争に誘導したのはメディアだったとして、「この恥知らずな新聞放送各社のトップたちは本来『戦犯』として裁かれるべき大罪を犯した者たち」であると言っている。この人はさらに、日本人自身が日本の戦争犯罪を告発すべきであったのにそれをしなかったことについて
- (告発にかわって)マスコミが編み出した言葉は「一億総懺悔」という他愛もないごまかしスローガンであった。
と書いています。
▼むささびはこの人より10才年下なのですが、「一億総懺悔」という言葉が新聞に出ていたことだけは記憶しています。新聞社や放送局の責任者を戦犯にするというのは考えもしなかったけれど、世論誘導に果たした新聞やラジオの役割がタイヘンなものであったことは間違いないですよね。「戦争本能」の記事でも紹介しているとおり、戦争というものは「本能的に」できるようなものではない。それなりの意図によって遂行されるものです。その意図集団の中で新聞やラジオは、人びとの眼・口・耳を封じることに大いなる役割を果たした・・・この人はそう言っているのですよね。
▼そして戦争が終わった途端に「悪かったのは日本人全員なのだ」という気持ちにさせる手伝いをする。日本人が自ら戦争責任者を追及することを防ごうというわけですが、そうすることで新聞も放送も、自分たちに非難のほこ先が向けられることを避けることができた。
▼300回目のむささびジャーナルですが、「世の中から忘れられたくない」という理由で第1号を出したのが2003年2月23日だから12年目に入っているわけです。その間、むささびが想像もしていなかったことが二つ起こっています。一つは自分が過去において何を書いたのかを憶えていないということ。全てではないけれど、「えっ、こんなこと書いたっけ?」という記事が結構ある。記憶力の衰退現象でしょうね。もう一つは、記憶力の衰退とも関係するけれど、自分が読んでも「面白いなぁ」と思う記事が存在するということ。ナルシシズム(自己陶酔)の見本のようなものですが、これも実は高齢化現象なのでありますよね。自己陶酔ついでに、「ノスタルジア版」まで作りました。よろしければお立ち寄りを。
▼でも一つだけはっきりしていることは、受け取った皆さまからいただく「面白かった」いう意味のメールがなかったら、とっくにぽしゃっていたはずであるということです。いくらナルシストでも、な~んにも反応なしでは続かないよね。というわけで、皆さまには心より感謝しております。
- I do not know how to thank you, but...
- THANK YOU!
▼虫の音が聞こえて・・・8月も終わりです。お元気で!
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むささびへの伝言 |
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