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302号 2014/9/21
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

9月16日(火曜日)、スーパーマーケットの駐車場にとまったクルマの中にいたら地震にあいました。かなり大きかった。ラジオが「震度4」と言っていました。妻の美耶子は店内にいたのですが、私は思わず一緒にいたワンちゃん2匹に「地震だ!」と叫んでしまった。2匹とも私のを顔を見ながら「なんだかおかしい」というような表情でありました。イヌに向かって「地震だ!」と言ってしまったのには自分でも笑ってしまいましたね。

目次

1)スコットランド独立否決を考える
2)良すぎる記憶の苦しみ
3)在英中国人映画監督が振り返る25年
4)ヘルスケアとソシアルケアの垣根
5)ワシントンポストが「ジミーの世界」で学んだこと
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
*****
バックナンバーから

1)スコットランド独立否決を考える

スコットランドの独立を問う国民投票は結局、「独立反対」が55.3%、「賛成」が44.7%ということで、独立は否決されましたね。票数で言うと賛成がざっと160万、反対が200万だったからその差はざっと40万(正確には383,937)ということになったわけです。この結果は、私などには僅差と見えたのですが、投票翌日(9月19日)のGuardianは、二者択一の投票で10.6ポイントの差は「決定的」(decisive)だと言っています。

またGuardianの記事によると、「独立反対」の8割以上が9月よりはるか前に態度を決めており、7割以上が1年以上も前に決めていた。それに対して独立賛成の中で9月前に決めていた人は61%、「数日前に態度を決めた」という人の3分の2が独立賛成だった。つまり独立反対派のほうが確信が強かったということですね。

で、独立反対の二人に一人がその理由として、独立すると「ポンドが使えるのかどうか分からない」、「EUに加盟できるのかどうかも分からない」、「失業が増えるのでは?」というのを挙げており、残りの半分は、UKに属することへのこだわりがあるのと、「これからさらなる分権が期待できるのだから、それいいのでは?」と言っている。つまり現実的選択ということです。

同じくGuardianなのですが、投票の2日前(9月16日)の号にジョージ・モンビオット(George Monbiot)というジャーナリストが "How the media shafted the people of Scotland"(メディアは如何にスコットランド国民を痛めつけたか)というタイトルのエッセイを寄稿しています。今回の運動期間中におけるメディア報道について書いているのですが、
  • スコットランドの国民投票に関連しておそらく最も際立ったのは次の点であろう。すなわち地方紙であれ全国紙であれ、またイングランドであれスコットランドであれ、独立支持を鮮明にした新聞はどこにもなかったということである。唯一の例外はサンデー・ヘラルドだけだった。つまりスコットランド独立に賛成票を投じるスコットランド人は、メディアの中で自分たちの意見を代表するようなものはほとんどどこにもない中での投票であったということである。
    Perhaps the most arresting fact about the Scottish referendum is this: that there is no newspaper - local, regional or national, English or Scottish - that supports independence except the Sunday Herald. The Scots who will vote yes have been almost without representation in the media.
と言っています。サンデー・ヘラルドは、昔はグラズゴー・ヘラルドという名前であったスコットランドの有力2紙のうちの一つの日曜紙です。

モンビオットによると、社説でそのように謳うことはなくても、ほとんどの有力メディアが独立を否定するような記事を掲載した。例えばSpectatorのサイモン・ヘファー(Simon Heffer)などは、スコットランド人を「福祉中毒に罹っている」(addicted to welfare)と決めつけていたし、The Timesのメラニー・リード(Melanie Reid)はスコットランド人は利己的(selfish)で子供じみて(childish)いる人たちと呼んだりしていた、というわけです。

確かに今回の運動の期間中は、あろうことか女王が「真剣に考えてね」(think very carefully)と発言してみたり、オズボーン財務相などは「独立するならポンドは使わせない」と言い、EUの幹部なども「独立スコットランドのEU加盟には面倒な手続きが必要だ」という趣旨の発言をしてみたり・・・それがいずれもメディアによって大きく報道されていた。ただ、それでも途中の世論調査では相当な接戦であったわけで、メディアによる「脅かし」報道がどこまで影響したのかはよくわからない部分がある。このあたりのことについて、ジョージ・モンビオットは「ごく少数の例外を除いて、ジャーナリストは常に世の変化を察知するのがいちばん遅い人たちの部類に入る」(With a few notable exceptions, journalists are always among the last to twig that things have changed)として
  • ジャーナリストたちは、自分たちを囲い込んでいるサークルの中で普通の人々の感覚からずれ、恥知らずにも変革の欲求まで見逃してしまうということだ。
    Journalists in their gilded circles are woefully out of touch with popular sentiment and shamefully slur any desire for change
と決めつけています。彼がいうジャーナリストたちを囲んでいる「サークル」というのは、ロンドンの国会議事堂があるウエストミンスター界隈でのみ仕事をしている「主要メディア」の政治記者たちのこと。日本でいう「永田町にたむろする記者たち」のことですね。

▼確かに今回は独立が否決されたわけですが、むささびが見た範囲では、今後このような国民投票は二度と行われないという発言も分析もなかった。唯一気になったのは、独立派のリーダーだったアレックス・サーモンドが敗北を認めたスピーチの中で
▼「現段階においては」(at this stage)ということは、将来においてはあり得るという意味ともとれます。だとすると、前号のむささびジャーナルで紹介したエッセイが「今回勝てなくてもいずれは独立」という趣旨のことを言っていたことを思い出します。

むささびジャーナル299号でも紹介したとおり、スコットランドの独立以前にイングランドの地方自治とか地方分権をどうするのかという問題がある。(例えば)スコットランドの教育政策はエディンバラにあるスコットランド議会で議論する。同じことがウェールズと北アイルランドにも言える。これらの議会の議員たちはそれぞれ地元から選ばれている。で、イングランドの教育政策はどこで議論されるのか?ロンドンのウェストミンスターにある、あの国会です。議員総数650人ですが、その中に117人ものイングランド以外の選挙区から選出された議員がいる。この人たちもイングランドの問題について投票したりする。

▼いま言われているのは、イングランドの問題についてはイングランド外の議員は議論や投票に参加しないようにするということですが、そうなると、何が「イングランド」の問題なのか?というややこしい話にもなってくる。従ってイングランドの地方分権のためには、あの国会ではない場所にイングランド議会というのを作るしかない。日本ではそれをやっている。それをやってこなかったイングランド人の怠慢と言われてもしゃあないんじゃありませんか?

▼3年後の2017年にはEUの加盟を続けるのかどうかという国民投票が行われる。イングランド人の保守派の中には脱退を主張する人が多いけれど、スコットランドは明らかにEU寄りです。2017年が近づくにつれて反EU色が濃い南イングランドと「反南イングランド」の感情が強い北イングランド(そしてスコットランド)の間でまた亀裂が起こりかねないということです。

▼そもそも保守派と言われる人たちは、スコットランドがUKから抜けたいというと、やれ「生意気だ」とか「みんなでまとまろう」とかいうくせに、UKがEUから抜けることについては「EUの官僚のいいなりにはならない」と言う。勝手だよね。2017年にはスコットランドと北イングランドの独立を問う国民投票があるかも・・・まさか!
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2)良すぎる記憶の苦しみ

前号のむささびジャーナルで「記憶」についてのエッセイを紹介しました。再確認すると、「記憶」には2種類ある。一つは「エピソード記憶」(episodic memory)でもう一つは「意味記憶」(semantic memory)。前者は一人一人の経験が基になるもので「昨日は東京へ遊びに行った」というのがそれ。後者はもっと一般的な知識に関係するもので「東京は日本で一番大きな町である」のように、その人の経験とは無関係な「事実」であり、それをどこかで知って記憶している場合は「意味記憶」というわけです。


Psychology Todayというサイトに掲載されている西ワシントン大学のアイラ・ハイマン(Ira Hyman)教授によるとイヌには「エピソード記憶」がないのだそうです。
  • イヌは昨日何があったを記憶しないし、明日に何をするかということも考えない。
    Dogs don't remember what happened yesterday and don't plan fo
    r tommorow
教授によると、エピソード記憶を有するためには「自分」(self)という意識が必要なのであります。ほとんどの動物や幼児にはこれがない。ワンちゃんでも赤ちゃんでも抱き上げて鏡に映してあげてください。彼らは鏡にうつっているのが自分であるという感覚がないことが分かります。

「自分」がないとエピソード記憶もないのですが、「自分」さえあればエピソード記憶もあるのかというとこれがそうではない。もう一つ「心理的タイムトラベル」(mental time travel)という能力が必要だ、と教授は言います。昨日は今日とは違うし、明日も今日とは異なる・・・教授によると思い出す(remember)ということはバラバラにされた時間の断片(disjointed slice of time)を経験することなのであり、人間には「心理的タイムトラベル」という能力があるからこそ、過去・現在・未来を区別するという能力もあるということができるのだそうです。この能力+「自分」(self)=エピソード記憶ということになる。ハイマン教授は、このエピソード記憶なるものの有無が人間と動物の違いということになるかもしれないと言っている。そしてイヌは「永遠の現在」(permanent present)の世界に生きているということになるのだそうです。

エピソード記憶がないワンちゃんたちが「永遠の現在」に生きているとすると、人間の場合それとは極端に違うケースもあるのですね。つまり自分の過去に起こったことを細大漏らさずすべて記憶している・・・ドイツの週刊誌、シュピーゲル(Spiegel)のサイト(英文版)を見ていたら、そのような記憶力を持っているアメリカ人女性とのインタビュー記事が出ていました。

この特殊な記憶力の持ち主はジル・プライス(Jill Price)という42才になる女性(ユダヤ系)で、カリフォルニアはビバリーヒルズの高級住宅街で暮らしており宗教学校を経営している。シュピーゲルとのインタビューは自宅近くのレストランで行われたのですが、席に着くと開口一番、シュピーゲルの記者に「誕生日は?」と聞いてきた。記者がそれを告げると
  • それは水曜日だったわ。その二日後のロサンゼルス付近は寒くて、私と母はスープを作ったのよ。
    Oh, that was a Wednesday. There was a cold snap in Los Angeles two days later, and my mother and I made soup.
とスラスラ答えたのだそうです。シュピーゲルの記事には記者の誕生年が書いていないけれど、インタビューをする記者ということは、若くても25才は過ぎているのが普通ですよね。つまりジル・プライスは25年以上も前の「ある日」のことを克明に記憶しているということです。9~15才の7年間については「ほとんど」憶えており、16才から現在までの期間については文字通り毎日完全に記憶しているのだそうです。
  • 1980年2月5日を皮切りに全部憶えているの。その日は火曜日だったわ。
    Starting on Feb. 5, 1980, I remember everything. That was a Tuesday.
というぐあいです。

このような記憶力のことをperfect memory(完全記憶)と言うのだそうですが、彼女は好きこのんでこのような能力を身につけたわけではなく、生まれつきそのような状態であったのだから「苦しいこともある」(it's also agonizing)。そうでしょうね、思い出なんていいことだけではないのだから。その時に感じていた怒り、悲しみ、落胆などもまた忘却の彼方に消えていくということがない。
  • 過去を振り返るというけれど、私の場合、現在と過去の間に距離感がないのよ。全く同じことを繰り返し繰り返し体験しているようなものなの。その記憶が過去におけるのと全く同じ感情を引き起こすの。
    I don't look back at the past with any distance. It's more like experiencing everything over and over again, and those memories trigger exactly the same emotions in me.
悪い記憶にさいなまれるときは気が狂うのではないかと思う。そのような苦しさの中で遭遇したのがカリフォルニア大学のジェームズ・マゴー(James McGaugh)教授だった。教授は「学びと記憶に関する神経生物学センター」(Center for the Neurobiology of Learning and Memory)なる研究機関を立ち上げた人物だった。ジル・プライスは文字通りワラにもすがる思いで教授にメールを送り、自分の症状を説明した。それがジルの記憶によると2000年6月5日の月曜日だった。

彼女の話を聞いて最初は半信半疑だった教授が驚いたのは、彼女が1980年から2003年までのイースター休日をほぼ全て正確に言えたことだった。イースター(復活祭)というのはキリスト教の行事で、年によって日が違う(3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日)のにユダヤ教徒である彼女が、1980年から2003年までまでに24回あったイースター休日のうち23日までを正確に言えたことだった。ただ、マゴー教授によると、ジル・プライスの場合、一つは自分の生活に直接かかわる記憶(エピソード記憶)は異常にいいけれど、それ以外の記憶については普通もしくはそれ以下で、学校などでも詩の暗記などは苦手であったそうです。

▼実はマゴー教授のもとには、ジル・プライス以外に全く同じような「能力」を持つ人物が3人連絡してきているのですが、全員に共通することが一つだけある。それはみんな左利きであるということ。「ということは?」と記者がたずねると、教授は「現在のところは、単にそういう事実があると言っているだけ」(For now, we are just describing what we see)と述べるにとどまったのだそうであります。

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3)在英中国人映画監督が振り返る25年

Aeonという雑誌のサイトに "Reading Howl in China" というエッセイが出ています。『中国で”吠える"を読む』という意味ですが、これだけだと何のことだか分からない。まずこのエッセイを書いたのは1973年生まれ(今年41才)の郭小櫓(Xiaolu Guo:グオ・シャオルー)という中国の女性作家・映画監督です。むささびはこの人の名前を見るのはこれが初めてですが、インターネットにはいろいろと出ているところを見ると、知らないのはむささびだけということかもしれない。

それからHowl(吠える)というのはアレン・ギンズバーグ(1926-1997)というアメリカの詩人の詩集(1956年)の名前です。むささびは『吠える』という詩集を読んだことがないし、ギンズバーグの詩そのものを読んだことがないのですが、ギンズバーグという名前だけは、1960年~70年代にかけて大変な人気者だった詩人ということで聞いたことはある。今から半世紀以上も前のアメリカにおける反体制的文化(ヒッピー、反戦、マリワナetc)の担い手であったビート世代というグループに属する詩人です。

郭小櫓はロンドン在住なのですが、このエッセイは、彼女がギンズバーグの詩を初めて読んだ1988年当時から今日までの中国社会の移り変わりについて書いている。むささびが知っている「中国」と言えば、日本のメディアを通じて知らされる「怖ろしい国」というイメージしかなく、そこで暮らしている中国の人びとのアタマの中などについては全くの無知。このままでは情けないというわけで読んでみることにしました。エッセイのイントロは次のようになっている。
  • かつては欧米における反体制的文学に惹かれたものの、いまでは「富める社会主義」という考え方に眠らされている・・・それが私の世代である。
    My generation, once impassioned by the Western literature of rebellion, is now lulled by ‘Wealthy Socialism’
彼女が生まれ育ったのは浙江省にある農村(Zhejiang province)。父親は画家なのですが、文化大革命(1966年~1977年)で「ブルジョア的」だとされて農村での重労働を強制され、おかげで片目を失うという苦労をしたらしい。父親が文化的な仕事をしていたこともあって欧米の書籍にも接する機会が多かった。はっきり書いてはいないけれど、経済的にはどちらかというと恵まれた家庭であったようです。兄が一人いるのですが、彼もギンズバーグのファンだった。というより兄の影響で郭小櫓も読むようになった。

『吠える』という詩は次のような書き出しだった。郭小櫓が読んだのは中国語訳です。
  • 自分の世代の素晴らしい心が狂気、飢え、ヒステリー、裸によって滅ぼされるを、私は見たのだ。
    I saw the best minds of my generation destroyed by madness, starving hysterical naked…
ここに出てくる「飢え」とか「裸」などの言葉にショックを受けた郭小櫓が兄に「アメリカというところは、まともに着るものもなくて、この国(中国)の飢えて貧しいお百姓と同じってこと?」と聞いたら、「ギンズバーグの言う飢えというのは"精神的な飢え"のことだ」を一笑に付されてしまった。と、これが1988年のこと。その翌年(1989年)、兄は理想に燃えて北京の大学へ旅立っていった。が、間もなくあの天安門事件に巻き込まれることになる。郭小櫓によると、国全体が学生に味方していた。


兄もまたデモに参加し、「シュプレヒコールの叫びすぎで声が枯れてしまった」と言いながらも大いに生きがいを感じていたようだった。が、これが鎮圧されて・・・
  • 天安門広場は静寂と悲しみが支配する場所となった。死体がいくつも地面に横たわり、血がレンガを赤く染め、戦車が燃やされ、デモ隊の横断幕が引きちぎられて・・・学生たちの「人の海」は引いて行った。
    Suddenly, Tiananmen Square became silent and mournful; bodies sprawled on the ground, blood stained its bricks, tanks burned, banners lay destroyed, the sea of students had receded.
・・・と、むささびの読み方によると、ここまではこのエッセイの「序」のようなものです。天安門事件から4年後の1993年、郭小櫓は北京の映画学校の入学試験に合格、浙江省の村を離れることになります。ここからは、彼女の言葉で、一人称で語ってもらうことにします。原文の英語は原則として省きますが、ここをクリックするとすべて読むことができます。
「天安門」を語らなくなって

天安門事件から4年後の1993年、私は北京映画アカデミーの入学試験に合格した。Thank Great Heaven! 耕して、食って、寝る・・・それだけが人生という人びととの生活からもおさらばだ!私は欧米文化への憧れでいっぱいだった。

が、このころになると何故か兄も自分も天安門事件のハナシをしなくなった。兄はまた受け身で「非常に現実的」(quite practically-minded)な人間になっていった。ギンズバーグのような前衛詩人への関心も急速に失っていったようだった。彼にとって天安門事件があった1989年は悪い想い出となってしまったということだ。時として心の傷口が開いて出血することもあるけれど・・・いまでも中国人は天安門事件のことを話したがらない。(国家による)反動(repercussions)が怖ろしいのだ。


家族が国家によって罰を受ける・・・これは全くいつものパターンなのだ。私の家族の例を語ってみよう。父は18才のときに共産党に入党した。中国にとっては共産主義こそが唯一の解決の道である・・・父は大真面目にそう信じていたのだ。彼は漁民の息子であったが、20代でフランス印象派の絵画に出会ったことで人生が変わってしまった。絵描きになりたいという欲求を持ってしまったのだ。それが文化大革命によってメチャクチャにされてしまった。彼のような芸術は「反革命的ブルジョア思想」であるというわけで、画廊を追い出されてコメ畑で重労働をさせられる。そのときに片目を失ったのだ。

私の両親は、兄も私も政治などには無関心(apolitical)でいて欲しかったはずだ。ただただ無事に学問を終えて、結婚して、家庭を持って落ち着く・・・そんな生活を期待していた。しかしギンズバーグの詩を読んだような子供に政治的無関心など期待する方がおかしい。というわけで、兄も私も天安門事件のころは大いに「政治的」であった。しかし年が経つにつれて二人とも若さを失い、輝く未来などということも考えることがなくなった。北京の映画アカデミーの映画哲学も変わってしまい、「どうすればスピルバーグのようになれるか」とか「中国でハリウッドを作ろう」というような授業内容になってしまったのだ。私もテレビ向けに警察モノのストーリーを書いたりして過ごしていた。

今や兄も私も中年の初期(early middle-age)という年齢である。兄は1997年に結婚、ずっと政府のお役所で働いている。家もあるしクルマも持っている。それと一人っ子政策によって娘が一人いる。彼はアルコールが入ると詩を書き、絵を描く。しかし中国の民主化を求めて叫び声をあげるということはもうない。この前、北京に行ったのは娘が生まれる前のことだった。数年前になる。彼にとって、政治はジョークなのである。体重も増えてしまって、あのころのやせっぽちで空腹を抱えた長髪の男はもはや私の想い出の中にしかいない。兄がいま情熱を傾けていることといえば、不動産市場の上がり下がりでしかない。昔と変わらない習慣といえばチェーンスモーキングと飲酒だけだ。
  • 何本もの煙草を吸いまくり、酒を飲みまくっているということは、兄がいまだに怒りの思想、若さにあふれた思想にこだわっているということなのだろうか?あるいは酒もたばこも完全な失敗の印なのだろうか?
    Does that mean he still holds some angry but youthful thoughts, or are these the signs of total failure?
中国を去る

で、私はというと、10年間の北京暮らしの結果、思想的には硬直化している社会において出口を模索する怒れる若き芸術家となっていた。ジャック・ケロワック風の小説をいくつか書いたことはある。しかし私が書いた脚本はいずれも検閲に引っかかって映画化されることはなかった。30に近づいて私は中国を去ろうと決心した。若さというものがそのバイタリティを失ってしまっているように思えた私だが、ヨーロッパは私にとって常に西洋文明のドリームランドであった。そしてイングランドに定住することを決め、ロンドンを自分の故郷として受け入れることにした。そしてロンドンもまた何百万もの移民の一人として私を受け入れてくれたのである。雨が多いけれど、晴れの日には公園を散歩しながらベンチに坐って小説を書く。もちろん西洋の民主主義について考えるし、ヨーロッパ文明の衰退ということも考える。自分の信念とか夢はどうなったのだろう?

天安門事件があった1989年の春、政治学者のフランシス・フクヤマが『歴史の終わり?』という論文の中で、「資本主義的民主主義が人類すべてを満足させる」と主張した。しかし西洋の自由主義的民主主義と市場経済によって、世界の思想的な違いが解消されて世界統一が達成されるなどということがあるのだろうか?


1990年代の終わりあたりから欧米の女性誌の中国語版が出回るようになった。ElleだのHarper’s Bazaarのようなカラフルな雑誌が、片田舎の書店にも並ぶようになった。みんな素晴らしいスカートをはいて、サングラスをして、髪はブロンド・・・欧米の女性こそ世界一美しい!とみんなが思うようになった。中国人は西洋式ライフスタイルが発するパワフルな光に圧倒され、その虜になってしまったのである。それらのファッション誌こそが市場を独占するグローバルなビジネスへ向けての第一歩であるなどということは誰にも分かるはずがなかったのである。

豊かさの中で・・・

私は自分が15才の時に読んだギンズバーグの『吠える』の最初の部分を今でもソラで言うことができる。
  • 僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最高の人間たちを 飢え 苛立ち 裸で 夜明けの黒人街を腹立たしい一服の薬を求めて のろのろと歩いてゆくのを
    I saw the best minds of my generation being destroyed by madness, starving hysterical naked…
でも兄はこの詩を憶えているだろうか?この25年間、中国における私のような世代の人間がいわゆる「自由」(so-called freedom)を求めてはるばる遠い道を歩いてきた・・・そのことを私は見ている。私たちの世代だけではない。兄たちの世代もそうだったのだ。1912年に清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(Pu Yi)が退位して以来、ポスト帝国主義の中国社会はずっと民主主義を追い求めてきたのだ。長い長い行進であり、終わりがないようにさえ見える。そして今では西洋式の物質主義的自由(materialistic freedom)に浸りきっている。中国で起こったのはそういうことなのだ。民主主義を達成するためには物質的な平等が大切であり、中国共産党が信じているのも「豊かな社会主義」(Wealthy Socialism)というものなのだ。でも今の中国で物質的な豊かさは達成されたかもしれないが、民主主義がどこまで達成されたのか・・・よく分からない部分である(it is hard to see)。私の兄にしてからが、あの天安門事件のことを公に語ることはできないし、私だって政治的に微妙(politically sensitive)と思われる本を出版することはできないのだ。

「夢を持つ」のに勇気が要る!?

映画を作ろうと思って私が中国へ帰ると、撮影セットのあたりに必ず数人の警官が立っており、タバコをすったり、携帯でひそひそ話をしていたりするのである。監視の目にも慣れてしまうものではあるけれど、詩人やノーベル賞受賞者の中にはいまだに刑務所暮らしを強いられている人びとがいる。その意味において、中国はあの天安門事件の1989年以来大して変わっていないということなのだ。が、それでも注意して嗅ぎまわると微妙に変化はしている。政治家のスキャンダルが表ざたになって失脚したり・・・ということである。中国の政界にはナーバス(神経質)な雰囲気が出てきている。

習近平氏が総書記の座に就いた2012年、「中国の夢」(Chinese Dream)という考え方を発表して話題になった。しかし「中国の夢」とは何なのか?中国の社会主義をAmerican Dreamと連携させて語ろうというものなのだろう。中国社会における個人の果たす役割をより強いものにしようというものだ。総書記はこの夢のことを「国の再活性化・国民の生活の向上・経済成長・軍の強化」などの言葉で言い表し、「若者は勇気をもって夢を見よう、その夢を満たすために懸命に働こう、そして国の再活性化に貢献しよう」と呼びかけたのである。
  • 「勇気をもって夢を見よう」だって!?一体いつから夢を見るのに勇気が必要になったというのか?中国では、夢をみるのに勇気が必要かどうかは、若者がどのような夢を与えられるかによって違ってくるのだ。我々の夢はどれも皆、親分の気持ちによって決められてしまうのだ。そうなると、本当の夢などは人間の想像力の中にはもはや残されていないのではないかとさえ思えてくるのだ。
    Dare to dream! Since when do we need courage to dream? In China, it depends on what sort of dream a young person is ‘given’. Our dreams are so textured by the minds of our masters that it can sometimes seem as if there is no true dream left in the human imagination.

というわけであります。

▼天安門事件のときは大いに政治を論じたはずの兄が、いまや家もクルマもある生活に浸りきって、「政治はジョークだ」などと言っている。天安門事件とは規模の点で比較にならないけれど、日本にも若い人たちが政治的であった時代はありましたよね。むささびの場合は1960年の日米安保反対闘争。学生が一人、政治家が一人、命を落として終わった(学生は東大の女子学生で政治家は右翼青年に刺殺された社会党の浅沼稲次郎委員長だった)。平和だの民主主義だのを叫んでいた学生たちはサラリーマンになって、その後の日本の高度成長の推進役となった。安保闘争から10年後の1970年にはこの私でさえも東名高速道路をクルマで走るようになっていた。たぶん政治的だった自分のことなど忘れてしまっていたと思います。

▼むささびをお読みいただいている皆さまの中には私と同年代の人が少なからずいるはずなのですが、昔はラディカルな政治青年だったこの中国人の筆者の兄が、物質的には満たされた今、「政治」のことなどそっちのけで不動産投資で金儲けをすることに血眼になっている。このお兄さんの気持ち、分かります?筆者はお兄さんが「受け身」(passive)で「現実的」(practically-minded)な人間になった、と嘆いています。「理想」を論じるということもなく、世の中の流れに棹さすようなことをしない、無難人間になってしまったということですよね。

▼このエッセイについて、欧米人とおぼしき読者が「偽善的」(hypocritical)であるとコメントしています。筆者は「政治的な情熱や芸術家としての反抗的姿勢の方が物質的な欠乏を満たすことより大切だと思っている、それが偽善だ」というわけです。天安門事件以来の経済開放政策によって大勢の人たちが貧困から這い上がったではないか。それに比べれば筆者の嘆きなど、昔はヒッピー的生活を送ったけれど、いまや善良なるビジネスマンに収まっている人間が「あの頃は良かった・・・」とノスタルジアに浸っているだけのことでなんの値打もないと批判している。でも、彼女はまだ40を過ぎたばかりですよ。昔の自分を懐かしむにしては若すぎるのでは?それと理想とか現状に対する懐疑の気持ちを語ることが「偽善」と考えてしまうのも貧しい気がしないでもない。

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4)ヘルスケアとソシアルケアの垣根
 

第二次大戦後、福祉社会の確立を目指した英国にとって最も重要な制度となったのが、無料で医療サービスを受けることができる「国民保健制度」(National Health Service: NHS)であることは良く知られているけれど、いまそのNHSが時代の要請に合わなくなっているとして、その構造を根本的に変えるべきだという報告書が発表されて話題を呼んでいます。King's Fundという医療関係のthink-tankが組織した"Future of Health and Social Care in England"という委員会がまとめたものなのですが、9月4日付のGuardianによると、最大のポイントは
  • ヘルスケアとソシアルケアは必要性に応じて根本的に作り替えられなければならない。
    Health and social care must be radically reshaped around need
という点にある。"reshaped" という言葉を私は「作り替える」と訳しているのでよく分からないかもしれないのですが、要するにこの二つの「ケア」に対するNHSとしての態度を改める必要がある、と言っている。

ここでいう「ヘルスケア」とは病院で治療を受ける病気にかかった患者に対するケアのことであり、例えばガンとか心臓病などがこれにあたる。「ソシアルケア」というのは、例えば病院で治療を受けるということではなくケアホームのような施設で介護される高齢者とかそのような施設に入らなくてもコミュニティとかボランティアがケアにあたったりするケースで、典型的なのが認知症です。

King's Fundの報告書が根本的な作り替えを主張しているのは、この二つの種類の「ケア」に対する国の予算の割り振り方です。いまの制度では医療サービスとしてのヘルスケアは基本的に無料なのですが、ソシアルケアは基本的に(例外はあるけれど)有料です。なぜこうなるのかというと、1948年に発足したNHSは「ヘルスケア」の無料提供ということだけを前提にしており、「ソシアルケア」の方はNHSではカバーされず、中央政府からおりる予算を使って地方自治体が提供するサービスであると規定されていたからです。1948年のころはそれでもよかったのですが、国民の寿命が圧倒的に伸びた現在では認知症とか高齢者介護のようなソシアルケアを必要とする高齢者の数が増えた現在では国民的なニーズに合致していないというわけです。今回の報告書の責任者である経済学者のケイト・バーカー(Kate Barker)は
  • ソシアルケアにはもっと資金が向けられる必要がある。人口動態の変化を見れば、これからの20年間でソシアルケアを必要とする人の数が大きく増えることは明らかではないか。
    Social care needs to be much more generously funded. Population projections indicate that the numbers needing social care are likely to rise significantly for at least the next 20 years.
と書いている。病院で治療を受けるとタダなのにケアホームで介護されると有料という制度ではもたないと言っている。

「認知症税」の不合理

一方、9月10日付のBBCのサイトに
という記事が出ています。

英国アルツハイマー協会(Alzheimer's Society)がこのほど発表した報告書(Dementia UK: The Second Edition)に関する記事で、King's Fundによる報告書とは別なのですが、全く同じようなことを訴えているように思えます。それによると、現在英国内に約80万人いると言われる認知症患者のケアコストの総額は一年間で263億ポンド、一人あたりのコストに直すと約3万2000ポンドになる。このうち国民健康制度(NHS)や地方自治体からの補助金などが約1万ポンドだから、残りの約2万2000ポンドは患者が自己負担で私的なサービス機関を利用したり、家族らによる無給ケアに頼っている。これがガンや心臓病のような病気の場合は、治療費は全額NHSが負担するので患者負担はゼロになる。アルツハイマー協会では、認知症患者とその家族らが不当な差別にあっており、これを「認知症税」(dementia tax)と呼んでいます。

BBCの福祉担当記者のニック・トリグル(Nick Triggle)が伝える「なんのためのNHSか?」(What is the NHS there for?)という記事によると、1948年にNHSができた当座は、主に国民を伝染病から守ることが目的とされた。いま英国人も長生きをするようになってNHSは、完全に治癒することがない長期的な疾病(認知症もこれにあたる)を患者自身が管理(manage)するのを助けるためにも使われるようになっている。現在この種の病を抱える患者はイングランドだけで1500万人と推定されているのですが、今でさえもイングランドに割り当てられたNHSの全予算(約965億ポンド)の7割がこのような患者のために使われており、かなりきつい状況にある。そしてこの予算がこれから増額されるとは考えにくい。

そのような状況下で、認知症のような長期的疾病の患者の多くが、「ソシアルケアが必要な患者」と認定される。ソシアルケアの金銭負担はNHSではなく地方自治体が担う。ただこれも予算に限りがあり、「必要に応じて」(means-tested)支給される制度であり、実際には「本当に困っている人たち」(those with the most severe needs)でないとお金がもらえない。

現在地方自治体からの補助を受けているのは100万人いるのですが、これを受けられない患者(認知症患者の3分の2がこれにあたる)にとっては選択肢は、
  • ケアを受けないで我慢する:go without care
  • お金を払ってケアを受ける:pay for it
  • 家族や友人が無給でケアをする:rely on family and friends to step in
のどれかしかない。

人間、若いときに働いて、給料の中からNHSの費用を払い続けるのに、年を取って認知症になると再びケアのための費用を自己負担しなければならない・・・アンフェアだというわけです。アルツハイマー協会では、現在のNHS制度にある医療が関係する「ヘルスケア」とそれが絡まない「ソシアルケア」の人為的分類によって認知症患者が不当に扱われているとして、その分類の撤廃を要求しています。

▼私、福祉関係の話題に全く弱くて自分が「ケア」されることが必要になったときに何がどうなるのか、全く知らない。認知症関連のサイトを見たら「医療機関で受ける医療サービスには医療保険が適応される」と書いてありました。でも認知症は普通は病院で面倒を見てもらうような病気ではないのですよね?いわゆる「保険」はきかない。英国と似たような制度なのでしょうか?

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5)ワシントンポストが「ジミーの世界」で学んだこと

いまからほぼ35年も前の1980年9月28日付のワシントンポスト紙の第一面に
  • 8-Year Old Heroin Addict Lives for a Fix
    8才のヘロイン中毒の生きがいは一瞬の恍惚
という見出しの記事が掲載されました。ポスト紙のジャネット・クック(Janet Cooke)という女性記者が、麻薬中毒に冒された8才の少年について書いた「ジミーの世界」(Jimmy's World)という記事の見出しです。この記事は大変な反響を呼び、クック記者はこの記事でピューリッツァー賞まで受賞してしまった。記事は次のような書き出しだった。
  • ジミーは8才になる。ヘロイン中毒患者の3代目。ゴマ塩頭のませた少年だった。ベルベットのような眼は茶色で、赤ん坊のようなスムーズな茶色の腕の肌には針の跡がついていた。
    Jimmy is 8 years old and a third-generation heroin addict, a precocious little boy with sandy hair, velvety brown eyes and needle marks freckling the baby-smooth skin of his thin brown arms.
記事はこのジミー少年が麻薬を注射される場面で終わっている。
  • ジミーは注射をうたれている間ずっと眼を閉じていた。やがて眼を開けて部屋を見回してから、ロッキングチェアによじのぼる。アタマを上下にこっくりこっくりさせる。常習者が「うなずく」と呼ぶ仕草である。「よお、おめえも、自分でできるようになりなよ」とロンが言う・・・。
    Jimmy has closed his eyes during the whole procedure, but now he opens them, looking quickly around the room. He climbs into a rocking chair and sits, his head dipping and snapping upright again, in what addicts call "the nod." "Pretty soon, man," Ron says, "you got to learn how to do this for yourself."

この記事が掲載された半年後の1981年4月16日付のポスト紙に
  • Post Reporter's Pulitzer Prize Is Withdrawn
という見出しの記事が掲載された。「ワシントンポストの記者が獲得したピューリッツァー賞を撤回」という意味ですよね。Jimmy's Worldの記事が実はクック記者の「捏造」(fabrication)であることが判明、賞が返上された。

上記の見出しはそのことを伝える記事のものです。ワシントンポストにとっては痛恨の出来事だった。そして「賞返上」の記事が掲載された3日後の1981年4月19日付の同紙に
  • THE PLAYERS:It wasn't a Game
    出演者たち:それは遊びではなかった・・・
という記事が掲載された。むささびが紹介したいのはこの記事です。

この記事は、クック記者による記事捏造事件に関する社内調査の結果を報告するもので、この見出しのいう "THE PLAYERS" というのは、この事件に関わったワシントンポストの編集関係者のこと。意図的に記事捏造に関わったというのではないけれど、結果として捏造を許してしまった内部の人間たちという意味です。記事の長さは1万3967語。むささびジャーナルが紹介する英国の新聞に掲載されるエッセイの類はおよそ1000~1300語、その10倍を超える長さです。とても全部など紹介できっこないのですが、昨今の朝日新聞による「誤報」事件を考えるうえで参考になるかもしれないのでごく一部だけ紹介します。関心とその気がある人はここをクリックすると、英文で全部読むことができます。これを書いたビル・グリーン(Bill Green)という人は、ワシントンポスト紙の「オンブズマン」という立場にあった人です。オンブズマンというのは組織の外にいて、その活動を見守り、監視することを仕事にする人です。


で、このオンブズマン報告ですが、ある地方紙の記者をやっていたジャネット・クックが、ワシントンポストの編集局長(executive editor)だったベン・ブラドリー(Benjamin C. Bradlee)宛てにポストで働きたいという趣旨の自己紹介の手紙を書いてくるところから始まります。1979年7月12日のことです。ブラドリーはこれを「メトロ」と呼ばれる編集セクションの副編集長だったボブ・ウッドワード(Bob Woodward)に回したけれど、クックとは自分で会うことにした。面接にやってきたクックと話をしたブラドリーもウッドワードも人事副部長のトム・ウィルキンソン(Tom Wilkinson)も彼女には非常にいい印象を持った。社会部長のハーブ・デントン(Herb Denton)だけは、あれでタフなポスト紙の記者が務まるかどうかという疑問を持った・・・。

▼お気づきですか?たったこれだけの文章の中に4人ものポスト紙のスタッフの実名が出てきます。この報告全体では20人を超えるスタッフの実名が年齢まで入って出てくる。徹底的に具体的なのです。ちなみに「ボブ・ウッドワード」はリチャード・ニクソンのウォーターゲイト事件をバーンスタイン記者と暴露した、あの記者です。

クックは半年後の1980年1月3日にワシントンポストに入社、1月末の時点ですでに4本の署名入りの記事を書くようになっており、編集者たちの信頼を獲得していた。2月21日号ではワシントンの麻薬街のレポートで社内的には高い評価を確立する。そしてその年の9月28日付のワシントンポスト紙の第一面に彼女の署名入りの記事 "Jimmy's World" が掲載される。

この記事が掲載されるとワシントン中が大騒ぎになる。ジミー少年に対する同情の声が湧きあがり、市長まで乗り出してジミーを探そうという運動が始まってしまった。さらに社内的にも大騒ぎで、グラハム社長などはクック記者宛てに「よくやった」という趣旨の手紙まで書いている。ただこの記事の主人公であるジミーという少年がどうしても見つからなかった。Jimmy's Worldは1981年のピューリッツァー賞に輝くのですが、最初の疑惑が云々されるのは記事そのものではなく、ピューリッツァー賞の委員会が発表したジャネット・クックの略歴だった。

この略歴はポスト紙が委員会に提出したものなのですが、社員用に用意している定型の履歴書への記入はクック記者本人が行い、彼女以外にそれをチェックした人間はいなかった。そこには「名門・ヴァッサー大学を優秀な成績(Phi Beta Kappa)で卒業、4か国語に堪能、ソルボンヌ大学留学・・・」と書かれていたのですが、彼女がポスト紙の仕事に応募する際に添付していた略歴とはかなり異なっていた。オンブズマンであるビル・グリーンの報告書には略歴詐称の疑いが出てしまったジャネット・クックを上役が問い詰める場面が生々しく描かれています。
  • つまりアナタが優秀な成績であの大学を出たという部分は間違っているということか?
  • そうです。
  • 外国語については?4か国語を話すと書いてあったが、本当か?
  • 本当です。
  • ソルボンヌ大学へ留学したというのも?
  • 本当です。
  • では、ジミーの物語は? And the 'Jimmy' story?
  • あれは本当のことです。 It's true.
という具合です。なおも質問が続けられると、ついに彼女は泣きだして、提出した略歴には事実と異なる点があることを認めながら「人間って、くだらないことでばれてしまうのね」(You get caught at the stupidest things)と言ったりしていた。ただ「ジミー少年」の話だけは本当であると主張し続けた。しかし尋問する編集者たちから出た言葉は:
  • もう終わりだよ。吐いてしまえよ。アンタのメモを見れば、俺たちにはあの記事がでたらめだと分かる。何ならアンタがどうやってでっち上げたのか、一つ一つ指摘してもいいんだよ。It's all over. You've got to come clean. The notes show us the story is wrong. We know it. We can show you point by point how you concocted it.
  • ピューリッツァー賞を返上しろよ。そしたら自分を取り戻せるよ。 Give up the Pulitzer and you can have yourself back.
  • もしいま正義の神が見ているとしたら、何が真実だとお告げになるだろうか? If a just God were looking down, what would he say is the truth?
そしてジャネット・クックはついに折れてしまい、記事がすべて捏造であることを泣きながら白状する。訊問した編集者たちはそれぞれジャネットを抱きしめてキスをする。


クック記者が「白状」したあとで、ウッドワードが自分の部下である記者たち約30人を自宅に招いて、この事件についての総括ミーティングを行ったのですが、その中で若い記者たちから出たのは、会社が記者たちに無理な要求をしすぎるという批判だった。そのような要求にこたえられない記者たちは、自分が全くのダメ人間のように思い込んでしまう。さらに記者同士を競争させるような管理のやり方がプレッシャーとなり、Jimmy's Worldのようなケースを生んでしまうということも指摘されたのだそうです。

もう一つ指摘されたのは、ポスト紙で仕事をするような記者は大体において、前の職場でかなりの実績を挙げており、それなりの自信やプライドを持ってやってくる。で、仕事を始めると社内的にも、対読者という意味でもそれまでとは全く違う環境に対応しなければならないことで、相当な心理的圧力がかかってしまうのだそうです。

▼むささび自身はほとんど新聞社で仕事などしたことがないので、現実は分からないけれど、ポスト紙などの場合は他の新聞社で仕事してきた実績を持って雇われるのですよね。日本の場合、(例外はあるけれど)新聞社は大卒を採用して、自分のところで記者として育成する。つまりアメリカの新聞記者のようにギンギラギンの自己主張をやらないと認めてもらえない、生存競争に勝てないというのではない。

このオンブズマンの報告書は「結論」(conclusion)の部分で、なぜこのようなことが起こってしまったのかについて語っているのですが、大ざっぱに言うと
  • 再び安全制御(フェイルセイフ)システムが例外であることを証明してしまった。
    Once Again, a Fail-Safe System Proves the Exception
となっている。「再び」というからには以前にも類似の事件があったということなのか?「フェイルセイフ・システム」というのは、例えば記事捏造のようなことが起こったときにもきっちり対処できる社内の体制のことを言っているのだと(むささびは)理解します。日本のメディアが好んで使う言葉でいうと「危機管理」ですね。ビル・グリーン氏によると、ワシントンポストには、記事に対する社内のチェック体制のようなものはできていた。にもかかわらず、それをしっかり使わなかったことが誤りだった。クック記者の上司たちは疑いを持った時点できっちり問い質すことをしなかった。
  • (その意味では)体制そのものが機能不全に陥っていたのであり、それについては言い訳することはできない。
    It was a complete systems failure, and there's no excuse for it.
と言って、特に責任が重い(とグリーン氏が考える)幹部の名前を挙げて、wrong, wrong, wrongと言っています。またビル・グリーン氏はポスト紙が反省すべき具体的なポイントをいくつか挙げています。例えば
  • 記者を信用し過ぎている。
    This business of trusting reporters absolutely goes too far.
  • 若い記者たちの中にはウォーターゲイトのような大スクープがどこにでも転がっているかのように錯覚している人間がいる。全く甘い。
    Young reporters come onto the staff expecting to find another Watergate under every third rock they kick over. That is naive.
  • 第一面症候群(第一面に載るようなニュースを書きたいという欲求)は問題ではあるが、これは解決不可能であるかもしれない。
    The front page syndrome is a problem, and it may be insoluble.
  • ジャーナリズム関連の賞を受けることへの過度な競争は有害。記者の仕事は読者に伝えるということであり、如何に名誉のあるものであるとしても賞状の類を集めることではない。ポスト紙はこの種のコンテストへのエントリーそのものを止めた方がいいかもしれない。
    The scramble for journalistic prizes is poisonous. The obligation is to inform readers, not to collect frameable certificates, however prestigious. Maybe The Post should consider not entering contests.
ビル・グリーンは、この報告を
  • ワシントン・ポストはジャーナリズムの世界における数少ない偉大な企業体の一つであり、関係者はすべてそのことを誇りとすべきである。
    The Post is one of the very few great enterprises in journalism, and everybody associated with it ought to be proud of it.
という言葉で締めくくっています。

ビル・グリーン氏の報告を読んでむささびがまず感じたのは、文句なしに「面白い」ということです。ノンフィクションのストーリーを読んでいるような感覚に陥ってしまった。グリーン氏自身が記者上がりであること、この報告がポスト紙に掲載するために書かれたものであるということ・・・つまりポスト紙の普通の読者が読んで、それなりに納得のいく報告である必要があったということなのですかね。

▼2012年に週刊朝日が橋下徹・大阪市長について連載記事を載せて問題になった際に「朝日新聞社報道と人権委員会の見解」というのをまとめたことがありますね。あの「見解」とこの「報告」では余りにも違いすぎる気がします。あの見解は、誰に読んでもらいたくて発表したものなのですかね。少なくとも読者でないことだけは確かですね。

▼グリーン氏の報告の中でむささびが最も感激してしまったのは、クック記者が泣きながら「白状」したあと、ウッドワード副編集長とクック記者の間で交わされた短い会話です。
  • ウッドワード:さっきはひどいこと言って悪かったな。
    I'm sorry I was such a son-of-a-bitch.
    クック
    :仕方ないですよ。私が悪いのだから。
    I deserved it.
    ウッドワード
    :そのとおりだ。
    Yes, you did.
▼これだけです。「私が悪いのだから」と言われて、なぐさめの言葉として、「そのとおり」という以外に何が言えるだろうかと思うのです。この報告を読んでむささびが思ったのは、捏造したジャネット・クックも含めて、誰も人間なんだよなということです。

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6)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 

nation:国

nationという言葉は日本語に直すと「国」となってしまうけれど、country、stateも「国」ですね。Cambridge Dictionaryによると
  • country
    an area of land that has its own government, army, etc
    独自の政府や軍隊などを有する陸上の一定の地域
  • nation:
    a country, especially when thought of as a large group of people living in one area with their own government, language, traditions, etc
    一つの地域に独自の政府、言語、伝統などを持ちながら暮らしている大きな人間の集団・・・という意味でのcountry
  • state
    a country or its government
    countryもしくはその政府のこと
ということになる。考えてみるとこの3つの言葉は意味がよく分からない部分が多い。例えばcountryには「都会」(town)と対比して「田舎」と言う意味もありますよね。stateはアメリカの「州」ですが「状態」という意味もある。ただ国とか国家と言う意味で使う場合はsが大文字(State)になるのだそうです。

おそらく最も定義しにくいのがnationなのでは?その割には非常によく使われる。国連はUnited Nationsですが、あれはなぜUnited CountriesとかUnited Statesとしなかったのですかね。

ラグビーの国際試合で「6か国対抗ラグビー」というのがあるけれど、あれは英語でいうと "The Six Nations" となる。この場合の「6か国」はEngland, Wales, Scotland, Ireland, France, Italyですが、最初の4つに注目してください。どれもnationという意味では「国」なのですよね。単なる「地域」ではない。イングランドもスコットランドもウェールズもフランス、イタリア、アイルランドのような独立した「国」と同等なのですよね。だからスコットランド独立というのは北海道独立というのとはちょっと違う・・・けど、沖縄の場合はnationと読んでも差し支えないのでは?

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7)むささびの鳴き声
▼ある人の話によると、かつて朝日新聞の記者で、1991年に朝鮮人従軍慰安婦の記事を書いた植村隆さんに「国賊」「売国奴」というレッテルを貼り、彼が勤務してきた北星学園大学に対して、大学に「解雇せよ」と脅迫メールを送りつけ、娘さんにまで嫌がらせをして喜んでいるレベルの低い人たちがいるのですね。

▼大学の先生方は植村さんを応援しており、植村さんも「よろしければ北星学園大学に対して応援・激励メールを送ってもらえないか」と言っているとのことです。ここをクリックするとメッセージを書き込めるフォームが出てきます。私、正直言って植村隆さんの何がそれほど話題になるのか分からないのですが、この人の名前で検索すると出てくる『捏造慰安婦・植村隆』、『アカ学校・北星学園』、『国賊退治』、『朝日新聞をつぶせ!』などの見出しを見ていると、リンチを見ているようで非常に不愉快で、ほぼ自動的に攻撃されている人の味方につきたくなるのであります。あしからず。

▼その朝日新聞の「謝罪」に関連するのが5番目に紹介したワシントン・ポストの事件ですよね。記事の中でも書いたけれど、オンブズマンのビル・グリーンによる「報告」の凄さは徹底した具体性にあります。人の名前、会話をした場所、日時、話の内容のみならず言葉までそのままを再現している。朝日新聞の「謝罪」とか「訂正記事」などについて、ジャーナリストの前澤猛さんは自身のフェイスブックの中で「謝罪する割には具体性に欠ける」という趣旨のことを言っている。「吉田調書」を読んだ原発担当の記者が、なぜ「命令違反」と考えたのか、記者自身の言葉が全く出てこない。「慰安婦報道」についても同じだそうです。
  • 記者は、書くときは「表現の自由」を盾にして、記者活動を主張し、あるいは保障されています。言い換えればそれは記者が「公人」であることを意味します。ならば、そうした個別記者の言動をも詳細に調査報告してこそ、今回の問題と責任の所在を明確にする朝日新聞の責任を全うすることになるのではありませんか。
▼おそらく朝日新聞には、『国賊退治』などという類のリンチ風メッセージが山のように届いているでしょうね。その種の人たちや安倍晋三さんらに打ち勝つ唯一の方法は読者を味方につけることです。そのためには誰が読んでも納得がいくレポートを作ることです。吉田所長の「2Fに行けとは言っていないんですよ」という言葉を捉えて「命令違反」とした記者、見出しをつけた担当者、それを通した上司が何を考え、何を話し合ったのかをきっちり再現することだと思います。もちろん実名で。ワシントン・ポストの報告を読んでアメリカの読者はなにを感じたでしょうか?ポスト紙やジャネット・クックに対する怒りでしょうか?少なくともむささびに関しては、いろいろと間違いを犯す人間が何とかそれを避けようと頑張っているという印象であり、それでも過ちは犯すという人間の哀しさのようなものだった。ポスト紙やジャネット・クックにはむしろ親しみを感じてしまった。

▼スコットランドですが、日本のメディアではずいぶん関心が高かったのですね。全国紙は全部、地方紙でも北海道新聞から始まって、茨城新聞、新潟日報、神戸新聞、山陰中央新報など、そして沖縄タイムズと琉球新報まで全部で15の新聞が社説で取り上げていたのにはちょっと驚きでありました。このうち琉球新報
  • 民主的手続きを通じて国家の解体と地域の分離独立の可能性を示した試みは世界史的に重要な意義がある。それを徹底的に平和的な手段でやり遂げたスコットランド住民に深く敬意を表したい。

    と言っています。
▼私とほぼ同年代のスコットランド人で、ラーメンと温泉大好き人間が引退してスコットランド西部の村で奥さんと暮らしており、妻の美耶子と「まさか、あの男は独立賛成じゃないよね」と話しながら、一応聞いてみようとメールを打ったら「もちろん独立賛成に投票する!」という返事でありました。投票日の2日前のことだったのですが、彼のこの返事にぎょっとしたのでありますよ。絶対に独立が可決されるはずがないと(これと言った根拠もなしに)思っていたのに、「あの男までか!」と驚くと同時に「もしかすると」という気持ちにもなった。

▼以前にも言ったことですが、かつて日本の百貨店などが「英国展」とか「英国フェア」という売り出しをやる場合、売っているものがスコッチウィスキー、タータン、ツイードの高級背広のようなスコットランドの名産品が多かった。英国大使館のイングランド人にしてみればこれが気に入らない。人口5500万のイングランド、500万のスコットランド・・・どっちが「本当の英国なんだ!」というわけです。イングランドにだっていろいろ売り物はあるではないか、なぜいつもいつもスコットランドなんだ・・・!でもさぁ、バグパイプ、キルト、フライフィッシング・・・どれも絵になるのよね。イングランドにもいろいろあるのは分かりますよ。ディッケンズだのブロンテだの・・・暗いんだよな、どれも。それと(その当時は)サッカーフーリガン・・・百貨店の催事では使えないのさ。

▼長々と失礼しました。
 
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むささびへの伝言
バックナンバーから
2003
ラーメン+ライスの主張
「選挙に勝てる党」のジレンマ
オークの細道
ええことしたいんですわ

人生は宝くじみたいなもの

2004
イラクの人質事件と「自己責任」

英語教育、アサクサゴー世代の言い分
国際社会の定義が気になる
フィリップ・メイリンズのこと
クリントンを殴ったのは誰か?

新聞の存在価値
幸せの値段
新聞のタブロイド化

2005
やらなかったことの責任

中国の反日デモとThe Economistの社説
英国人の外国感覚
拍手を贈りたい宮崎学さんのエッセイ

2006
The Economistのホリエモン騒動観
捕鯨は放っておいてもなくなる?
『昭和天皇が不快感』報道の英国特派員の見方

2007
中学生が納得する授業
長崎原爆と久間発言
井戸端会議の全国中継
小田実さんと英国

2008
よせばいいのに・・・「成人の日」の社説
犯罪者の肩書き

British EnglishとAmerican English

新聞特例法の異常さ
「悪質」の順序
小田実さんと受験英語
2009
「日本型経営」のまやかし
「異端」の意味

2010
英国人も政治にしらけている?
英国人と家
BBCが伝える日本サッカー
地方大学出で高級官僚は無理?

東京裁判の「向こう側」にあったもの


2011
悲観主義時代の「怖がらせ合戦」
「日本の良さ」を押し付けないで
原発事故は「第二の敗戦」

精神鑑定は日本人で・・・

Small is Beautifulを再読する
内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
東日本大震災:Times特派員のレポート

世界ランクは5位、自己評価は最下位の日本
Kazuo Ishiguroの「長崎」


2012

民間事故調の報告書:安全神話のルーツ

パール・バックが伝えた「津波と日本人」
被災者よりも「菅おろし」を大事にした?メディア
ブラック・スワン:謙虚さの勧め

2013

天皇に手紙? 結構じゃありませんか

いまさら「勝利至上主義」批判なんて・・・
  
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